職人の時代が近い

 

 長津勝一師匠の温厚であるが由縁を垣間見て、心打たれ、「妻にも」と思って妻も呼んだ。言葉では説明できないから、と思ったわけだ。妻に好きなように振る舞わらせながら、妻の五感でも職人の集いの雰囲気を受け留めさせ、学んでもらいたい、と思ったからだ。結果、妻は「もう(車で)行き方が分かりました」「何回でもご一緒します」になった。何かに心惹かれたのであろう。

 長勝流の研ぎ方をしたチェーンソーと長勝鋸の試し切りもした。私が、師匠の指導を得て研いだチェーンソーの試し切りもした。長勝鋸での切り口が、カンナで削ったかのように「ツルツルしている」といって妻は喜んだ。そして、試し切りで出た、薄べったい輪切りを幾枚も妻はもらい、欲張って持ち帰ることになった

 かくして、ソーチエーン研修会を切りあげたが、有意義なことが多々あった。

 まず、五島市で診療所を運営する宮崎医師と合うことができた。かねてから長津師匠から紹介されていた人だ。たまたま関西に来ていたので、駆けつけた、とのことだった。鋸の「研ぎ方を知らなければ」と、語る。自立した人間を目指している人と見た。

 この時に、「そうであったか」と、私は後頭部を金鎚で打たれたような思いがした。かつて、工業製品の鋸と、手作り鋸の比較をしたことがあった。そして、経済的にはさして差がなく、工業製品に軍配を挙げ(る世の中の風潮に同感し)た。その決め手として、仮に乱暴に扱って刃をこぼしても、買い換えれば済む便利さと気楽さを上げた。確かに、買い換えれば済むが、替え刃が買えないところへは移住さえできない。それでは永遠に工業社会の落とし穴にはまり込んでいなければならない。自立した人間にはなれない。「それが、工業社会のワナであり、落とし穴だ」「うっかり、私もワナにかかりかけていた」と思い知らされ、反省した。

 かねてから私は「集金システム」という言葉を用いて、警鐘を鳴らしてきた。工業化を図り、寸分たがわない製品をはびこらせる側と、寸分たがわない製品に憧れる風潮を広め、自然豊かな田舎を「ナーンモないところ」と卑下する側に分断する。前者は富み、後者は次第に貧困化し、貧富格差を広める。その国家間の出来事が南北格差だ。この国際的な普遍化がグローバリズムである。だから、短大で「コンビニがないところで、生きてゆけますか」と質問して私を驚かせるような学生を輩出させてきた。

 この医師は、長崎の出身だが、ネパールを旅し、カトマンズで感じるところがあった、という。それがキッカケで五島列島に移住し、今は半分の時間を診療に、残る半分は自立した人間を目指すために活動している。

 ガンジーの教えに学んだ人でもあるようだ。ガンジーが貧富格差の根源を見事に指摘していた点の発言もあった。工業社会の落とし穴に甘んじていると、多くの人は貧困に追いやられる。追いやった側は巨万の富を得る。これまでに私が指摘してきた「集金システム」の危険性に気付いただけでなく、それに備えている人だ、と共感を覚えた。

 自立した人間を目指し、木挽き、牛耕、日本ミツバチ養蜂、桶/炭/無農薬米作り、あるいは対州馬保存活動にも取り組んでいる。長男は医師に。次男は鍛冶職人に。3男は桶職人と百姓の兼業に立ち向かっている。4男は獣医学在学中とか。五島市に訪ねたいし、「アイトワへも、是非とも」と招待した。

 ソーチェーン研修会に集った一人の職人は、近くの小学校から、枯れ木の切り取りを要請されていたようだ。師匠を始め10人余で出かけた。

 枯れた台湾産とかの外来木を切り取ったが、その隣に花を咲かせたソメイヨシノがあった。その幹の1本が枯れており「切り取るべし」と私には思われた。「今なら、数分を要さずに」切り取れる。そして、桜の木は切り口を自ら塞ぎ、治癒することができる。だが、放っておけば、洞をつくらせ、樹勢を弱らせる。

 小使いさんは、「切り取り案」に対して、了承も要請もしなかった。できなかったのかもしれない。何も反応しなかった。私はイライラした。手をこまねいていて(木を枯らし、伐採という)葬式を出すより、治療を急げ、と叫びたかった。だが押し黙った。

 ココロの中でイライラしているだけの私を見て、ニヤリと目でサインを送る植木職人がいた。その目に救われ、私はホッとした。この小学校では、小使いさんにはその権限を与えていないのだろう、と気づかされたからだ。

 学校は、この小使いさんが「生きものとして生まれ持っているはずのセンス」を当てにしていないのだろう。あるいは、この小使いさんは「生きものとして持って生まれた己のセンス」を放棄し、限られたマニュアルに、指示されたことだけに従って生きておればそれでよい、と諦めているのだろう、と私は思った。

 なぜか、学童数名に先生1人、と言ったような学校をフト頭に描いた。何もかも兼務の先生は、そのような呑気なことが言っておれないだろう。その先生の良し悪しは別にして、子ど もは人間を学べるに違いない。

 長津師匠の弟子の1人で、大工志望であったとの人から「鋸研ぎ」の何たるを聴けた。ノミやカンナは簡単に研げる。それぞれ「刃が1つですから」。鋸はそうはゆかない。「100からの刃があり」、それが揃って初めて1つになる。「なるほど」との納得から会話が始まったが、後の話は印象に残っていない。

 もちろん、チエーンソーの何たるかを私なりに学べた。職人の柔軟性や厳格さにも私なりに触れ得たように思う。若手を「今年は4人採用した」という造園会社の一行にも触れた。「スバラシイ」と、何故か嬉しくなった。2つと同じ物を生み出さない自然界で働くことを願い、まったく同じことが2度と出来ない職職人技、刻々と成長すべき技を磨こうとしている若人がマブシかった。

 植木職人お一人から、「なるほど」と気付かされたこともあった。枝落としの位置だ。その根元で切れば、木に洞をつくらせずに済ませやすい。だが、そうはしない場合が多い。それには、それなりの理由がもう1つあった。鋸の刃を傷めかねないからだ。枝の付け根には ほこりが溜まりやすい。その誇りは砂ぼこりである場合が多いことだろう。

 また、クヤシイ思いを再燃させもした。ゲンノウの柄には「グミの木が最適」である、と追認する会話に触れたからだ。「個離庵」を造るために、ビックリグミの古木を学生に掘り取ってもらったが、その時はまだ「その知識」に欠けていたからだ。その古木を、棘が気に入らないというだけで、薪にもせずに、灰にしてしまった。 (セラヴィ)

 

心打たれ、「妻にも」と思って妻も呼んだ

 

欲張って持ち帰ることになった

枯れた台湾産とかの外来木を切り取った

花を咲かせたソメイヨシノがあった

チエーンソーの何たるかを私なりに学べた

若手を「今年は4人採用した」という造園会社の一行