予期せぬドラマ

 

 タラの芽のシーズンだ。今年は、ムクムクしたよいタラの芽が3つも採れた。たくさん採れた小さい芽は、天ぷらなど一般的な用途に用いたが、ムクムクした最初の2つで、妻は新しいメニューに挑戦し、その活かし方の幅を広げた。

 ムクムクした3つ目の芽を、私は「もしや」と思ってこの日に採った。妻はそれを、期待通りに、先の2つとは別の、また新たな調理法を思い付き、挑戦し、惣菜に活かした。それはそれでヨカッタのだが。

 この日、妻は会食の場に囲炉裏場を選んだ。何カ月ぶりかで学生に片付けてもらえていたからだ。キッチンから少し離れており、料理を運ぶのは少し厄介だが、私も賛同し、その場作りは私が引き受けた。それも、それでヨカッタのだが。

 汁を出す頃合いになった。三つ葉の澄まし汁はとりわけ「熱い方が」と言って、妻は別途用意して振る舞った。香りと冴えた緑色を大切にしたのだ。

 そのついでに、とキッチンに戻っときに、タラの芽の一品を思いついたのだろう。こうした場合の新メニューの創作は、とりわけ妻は楽しいようだ。

 例によって、まず私が箸を出した。こうした場合、妻は味見をしていないのが普通だ。はやるココロがそうさせるのだろうが、振る舞ってから、いつも少し慌てる。そして、私の顔色を見て、いつも胸を撫で下すのが常だ。

 苦みが少し効いており「これはイケル」と思った。主客にも好評だった。

 問題は、最後に残った一口分ほどだった。主客が残り副を片づけてくださることになり、その半部ほどを小皿に移し終えられた時だ。そのつぶやかれた一言に私は肝を冷やした。「あらっ、カメムシ」だった。その主客、門ゆかりさんは、皿に残っていたすべてを片づけながら、これもよい味にしてくれたの「かもしれませんね」と、食べ終えられた

 即座に私は、大昔の思い出を振り返った。2度あることは3度ある、の好例になった。既に何かで2どほど紹介した思い出話だ。大阪のロイヤルホテルでの一件と、それとは対照的な結末になったロンドンの中華街での一件だった。私は、妻の顔を見ずじまいになったが、妻もきっとココロを深く打たれていたに違いない。

 ロイヤルホテルでの一件とは、バイヤー夫妻を接待した折のディナーだった。その夫人のサラダにイモムシがいた。ムクムクしたレタスのふちを尺取り虫のようにイモムシが歩いていた。この一事で何もかもが台無しになった。

 ロンドンでの一件とは、中華街での接待だった。たけなわの宴はスープの段になった。スープは一巡し、お代わりをする人が続出した。その最後の方で、大阪のホテルでの一件を思い出させる声が発せられた。ス−プの中に、出し殻のようになったイモムシがあった。大騒ぎになり、調理人が呼ばれた。だが、調理人は大坂でのように平身低頭ではなかった。そばにあったレンゲで、そのイモムシを救い上げ、「みんな食べられるヨ」と言って、パクリッと飲み込んでしまった。

 しばし沈黙の後、大賑わいになった。目には見えない農薬より、イモムシの方がマシだ。イモムシが安全の査証だ。ワシも、虫食いがある菜っ葉を買うようにしている。さまざまな意見が錯綜し、宴は格段に盛り上がった。

 「セラヴィ」と、その時も私はココロの中でつぶやいたように思う。

 色々なことがあった7日間であったが、最後も「色」に関わっている。木曜日に手掛け始めた迷彩作業だ。後藤さんを迎える直前に、3度目の塗装をして仕上げた。その後で、妻に「見てくれましたか」と、確かめたが、気付いていなかった。イヤでも目に付く位置なのに、気付いていなか った。「セラヴィ」


 

新たな調理法を思い付き、挑戦し、惣菜に活かした

食べ終えられた

イヤでも目に付く位置なのに、気付いていなかった

3度目の塗装