衝撃的ニュース

 

 フランスは食料自給率が100%を大きく超える輸出国である。にもかかわらず本年2月に、世界に先駆けて「食料廃棄禁止法」を施行した。これはフランスがドイツに対して抱いている良きライバル意識の現れであり、歴史に残る偉大なる決断であろう、と私は思った。と同時に、とても残念な気分にもされた。

 それは日本の問題である。日本は食糧自給率が極端に低い先進工業国である。にもかかわらず、「賞味期限切れ食料」など莫大な食料廃棄を放置している、と言って過言ではない。それだけに、日本こそが制定すべき法律ではなかったか、と思うに至ったからだ。

 その残念さが一夜明けてもおさまらず、次第に、フランスのこの立法がなぜか人類史上でも画期的な出来事ではないか、とさえ思われ始めた。それはどうしてか、と考えているうちに、この法律は国家の「安全保障」上、とても有効に作用するに違いない、と思うに至ったからだ。と同時に、911の折に釈然としない気持ちを抱かされていたが、その霧が晴れたような気分にもされた。

 昨今、難民問題がかまびすしいが、その陰には必ずと言ってよいほど、飢餓など食糧問題が見え隠れする。仲良く暮らしている家族が、命をつなぐに十分な食べ物に恵まれていたら、誰が命がけの難民になったりするだろうか、とまず思った。

 次に、世界の食糧問題は分配の問題であることを思い出した。現実に、食料は分配さえ公正であれば、飢える人が出ない計算が、今もまだ成り立っている。

 だから、「文明とは、飽食を許すシステムでもあり、そのシステムの弊害を拡大する2次システムがグローバリズムである」と考えるに至った。つまり、難民問題やテロ問題は文明の進展に伴う弊害と断じてよい、と睨むに至った。食料分配の不公正さが昨今のグローバリズムによって加速され、その帰結が昨今の難民問題の原因になっており、テロ問題の遠因でもある、と断じてよかろうとの想いである。

 ここで、911の折に抱いた釈然としない気持ちを思い出した。ブッシュ大統領は「テロ」と叫び、「文明への攻撃」と断じたが、後者には「実に的確な指摘」と感じ入った。しかしながら、前者にはなぜか釈然としない気分にされた。そのわけがこのたび明快に理解できたような気分にされた。

 それは、アメリカが世界最大の飽食国でありながら、ブッシュ大統領がその改善を国民に説き、このたびのフランスのような決断を国民に迫っておらず、逆に理不尽な武力行使に踏み切っていたことに気付かされたからだ。

 私の目に「飽食は、武器を用いないテロであり、間接的で遠まわしであるだけ余計に陰湿なテロである」と見えて仕方がなくなってしまった次第である。

 この直後に思い至ったことがある。それは、ドイツが1994年に、世界に先駆けて画期的な法律を成立させていたことだ。循環経済廃棄物法である。私の五感には「第4時代の曙」かのごとくに写っており、少なくとも工業文明時代の終焉を予感させている。

 それは、「新製品の概念がない国家」を目指す法律だった。生産されたばかりの新製品を潜在的廃棄物と規定した。つまり、ドイツ国民は「産業廃棄物」を出しながら「潜在的廃棄物」を生み出している。潜在的廃棄物は、売れ残ったり消費者が所有権を放棄したりすればたちまちにして「廃棄物」になる、との自覚であった。

 ということは「ドイツ国民は、3つの廃棄物を大量に生み出してきたが、これをもって自粛する」との決断であったかのように私のココロに残った。そしてこのたびのフランスの決断は、それをはるかにしのぐ決断ではないだろうか、と思った。

 このニュースを、私はこの日曜日のNHK-TVで知ったが、その後次第に、日本がこれぞ先に決断し、施行出来なかったことを残念に思うだけでなく、とても恥ずかしく思うようになった。なぜなら、現政権のGDP600兆円構想は、フランスやドイツのこうした考え方や動きとまったく逆の方向を目指していることを意味しているからだ。同時に、私が唱える「2025年問題」がいよいよ現実味を増したもの、との感を強くした。