借金と亡き母の口癖の1つ

 

 冊子「アイトワの小史」作りが大詰めにこぎつけた。2日後にその最後の打ち合わせが迫っていたからかもしれない。あるいは、「今頃は」と、フト網田さんに思いを馳せたからかもしれない。網田さんの都合で不参加になったが、参加しておれば飛鳥村で半断食の最中であった。ともかく暑い日で、頭は半ばボケていた。

 大汗をかきながら草刈りに精を出していたときに、なぜか借金のことが頭に浮かんだ。「アイトワの小史」では、その6節で借金に触れている。その見出しは「使命その1。住宅ローン」だ。この「節」で、私は「これまでの生涯で、借金したのは、後にも先にもこれが最後」と記している。それが気になっていたのだろう。

 「一回ではなかった」と、まず思い出した。網田さんにも借りたことがある、と3年ほど前の半断食道場に参加した時のこと振り返った。車の人となり、高速道路に載ってから、財布を忘れたことに気付いたが「時すでに遅し」だった。「でもあれは、金利がついた借金ではない」なんて勝手なことを考えた。

 「そうだ」と次いで思い出したことがある。「高金利がついた借金に縛られたことがあった」。相続税が払えず、20年間の分納をせざるを得なかったからだ。銀行に貯金をしても、定期金利が0.1%だった頃に、国は年利4%の金利を強いた。

 でも「この借金は」と、また異なる屁理屈をつけた。「売るつもりのない土地」を持っているだけなのに、ならまだよい。景観を守りたくて、なんとか維持し続けなくては、とわが人生をその維持のために賭けたようなものなのに、「責め苦のごとくに課せられる税金だ」。「これさえなければ、人生は」と考えているうちに、「そうか、昨今の少子化傾向の遠因も読めた」などと、暑さでボケた頭をいろいろと巡らせた。

 その時に、一陣の涼しい風がサッと首筋のあたりを通り過ごした。実にスガスガシク感じた。おもわず「地獄の余り風」とつぶやいた。これは、こうした場合の、今は亡き母の口癖だった。ボケた頭にムチ打ちながら、これはどういう意味か、とああでもない、こうでもない、と考え始めた。

 最初は「苦しい地獄で吹いた極楽のような一陣の風」でよいだろう、と思ったのだが、「イヤ、そうではない」と思い直しはじめたわけだ。なぜなら、閻魔さんは、火炎地獄などで吹かす風しかもち合わせていないはず、と思われたからだ。

 いつも母は、地獄のような暑さに、単に耐えているだけではなく、その暑さに耐えながら誠実に働いている時に、この言葉を吐いていた。思いがけず吹いた一陣の風を、こう呼んでいた。この点に気付いたからも、ああでもない、こうでもないと、考え続けた。

 ボケた頭でたどり着いた結論は、こうだった。

 閻魔さんが見るに見かねて「ガンバレよ」と流用してくれた風に違いない。

 母のことだ。母は、決して、自分だけが幸せなったり、得をしたり、楽をしたりすることを考えない人だった。だから、そうとは気付けない人から、よく誤解もされていた。それが何時も、こどもゴコロながら、悔しい思いに誘われていた。

 きっと、その風を吹かすことで、閻魔さんも幸せになれば、その幸せのおこぼれに預かる人も大勢いるに違いない、と母は思っていたに違いない。だから、あのようなトーンで「地獄の余り風」と反射的に、いつもつぶやいたのだろう。

 閻魔さんが、その風を回したことは、一種の職務怠慢である。本来は、火炎地獄などで、火に油を注ぐがごとくに吹かせる風である。にもかかわらず、フト閻魔さんはよそ見をしてしまい、心が和む光景が目に留まり、攻め苦用の風を横流ししたのだろう。

 もちろん、仏さんがそれに気づかぬはずはない。でも、仏さんも、微笑んだに違いない。閻魔が流用した風は、地獄では余っていた風だ、と見逃したくなったに違いない。

 私も「歳だなあ」と思った。おおよそ、こんなことを考えるようなタイプではなかった。母のセイかもしれない。あるいは、妻のセイかもしれない。ボケた頭ながらに、炎天下でこんなことを考えていた。

 それはともかく、今年最初の夏日の下で、直射日光を浴びながらの庭仕事だった。やむにやまれず麦わら帽子を取り出したが、うまい具合に妻を「かぶってますね」と、グチを言われずに済んだ