わが家の庭には、常時多くの水をさまざまな形で蓄えており、キンギョやメダカにも大事な役割を担わせている。ボウフラ退治だ。
とりわけこの役割を担わされるキンギョは、元は熱帯魚の餌にされがちの(30年ほど前は10匹250円、昨今は500円程度の)
稚魚だが、今に生き残っている分は、様々な試練を乗り越えて大きく育っており、至宝的存在である。
いつも1度に10匹ずつ、年に4〜5回は買い求めてきたから、100匹に1匹とか、300匹に1匹の割でしか生き残れなかった存在である。なかでも7カ所で住まう11匹は、飼い始めてから10年ないしは30年近くにわたって生き残って来たキンギョだ。
ちなみに、今年は既に2回、20匹を買い求めており、すでに8匹を死なせている。死因は消化器官が弱かったのだと思う。食欲が落ち、衰弱して死んだ。
12匹が棲んでいた7カ所は、カフェテラスの大水槽に3匹、温室の2つの水鉢に各1匹、いざという時は飲料水にもと見ている井戸枠水槽に2匹、人形展示室脇の土中に埋めた甕に1匹、オレンジプールに2匹、そしてコンクリプールに2匹であった。コンクリプーには計10数匹が棲み、内2匹が、カフェテラスの方は計11匹が棲み、うち3匹が大きく育っていた。
このカフェテラスの大水槽に棲んでいた3匹の内の1匹を、このたび維さんが死なせてしまった。原因は維さんの先入観である。妻は幾度かにわたって「教えた」と言うが、その教えを無視し、餌をやり過ぎさせた先入観が原因である。「そばに寄ってくるから餌をねだっている」と考え、与え続けたようだ。幸い、彼女が来ていた日にこの1匹は死んでおり、体験を通して妻の警告を実感し、維さんはキチンと学べたに違いない。
余談だが、これはアイトワで学んでほしい実感を伴った学習のほんの1例で、維さんにはこうした学習を繰り返し体験してもらいたく思っている。彼女は役人志望ではないだけに、座学で習得した知識だけの頭でっかちにしてしまうのは気の毒に思われる。いわゆる「ポスドク」と呼ばれかねない存在にしてしまう恐れである。
過日、この1匹と同等以上の至宝の2匹が棲んでいたコンクリプールで悲劇があった。10数匹がサギに襲われ、餌にされてしまった。何せ、例のコンクリ製側溝を活かしたサンクチュアリを沈める前のことで、身を隠す水草さえなかった。四角い水溜めであり、水深が10数センチほどに下がっていた時に襲われたのだから、たまったものではない。1匹残らず平らげられてしまった。おそらくパニック状態になったことだろう。
でも、このたびの維さんが死なせた1匹よりも「ましな死に方が出来た」のではないか、と私は思う。人によっては、サギに食われて命を落とすより、食い過ぎで死ぬ方が幸せに違いない、と考える人がいないとも限らないが、私はそうは思わない。
まず、過食で死ぬなんてキンギョもキンギョだと思う。1匹で住まわせている至宝者は、餌をやり過ぎると食べ残している。だが、このカフェテラスの大水槽のように、所狭しとばかりに大小取り混ぜて11匹も棲まわせると、その自制心を見失わせる。つまり、本能を狂わせてしまうわけだから、気の毒に思う。
狭いところで多くを飼うと、餌を競うようにして食べかねなくなる。そして、常に大きくて強そうなのが有利に立ち振る舞い、たくさん食べる。小さいのは追いやられ、食いそびれ、常に腹をすかせたような状態になる。かくして生じる競争心が、有利に立ち振る舞う大きいキンギョを過食にさせかねない。だから追いやられ勝ちであった他の小ぶりのキンギョから「ざまあ見ろ、バカモ。」と蔑まれながらの死になったのではないか。
その点、コンクリプールの方は、少し事情が違う。同じく大勢で済んでいたが、広さが違う。いわゆる人口密度が小さい。その分、本能を正常に保つゆとりがあったに違いない。問題は唯一、水位が10数センチに下がりかねない点である。
きっとここに棲んでいたキンギョは、とりわけ様々な苦難を乗り越えて生き残ってきたキンギョは、常日頃から水位が下がるたびに、身の危険を感じていたことだろう。唯一、安堵できたのは、人間が近づいてきて餌をまいてもらえる時だった。襲われそうな野生動物は近づいてこない。しかも、面積が広いから、競い合いもそれほどし烈にはならない。
要は、餌にされたここのキンギョは「来る時が来た」との覚悟が、あるいはあきらめの気分が伴った死ではなかったか。いわば、カーレーサーや戦闘機のパイロットのような死に方ではなかったか。あるいは、己が餌にされ、強き相手に同化されるわけだから、もっと崇高な気分になれたのではないか。
それはともかく、この度は添える写真に苦労した。ついに、載せたい写真が撮れなかった。「至宝中の至宝」の写真を、と願ったのだが、殺気を感じ取られてしまったようで、ついに撮れずじまいになり、やむなく、カフェテラスの大水槽の写真でごまかすことにした。ここのキンギョはほぼ野生を、つまり生きものとしての自立性をほぼ失わされている。それだえに不憫にも思われる。
生き残りの1匹ではなく、死に急ぎが消えた後の、ナンバー2。つまり、次の死に急ぎ候補になりかねない1匹の写真になった、と言ってよさそうな気分にされている。
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