自然の力にカラダをゆだね、ココロを解く機会を提供することも心がけの1つにしている。その秘訣は、小鳥や小動物が集いたくなるような時空を創出することではないか、と思っている。
それは、決して餌付けをすることを意味していない。実り豊かな空間にして、小鳥や小動物が集いたくなるような空間にすることだ。適度な餌がありそうだ、と感じられることも大切だろうが、そりよりも何よりも、きれいな空気ときれいな自然水に満ち溢れ、ココロを癒す天からの贈物に恵まれていることではないか、と思う。
この度は、アメリカから訪れた学生にその1例を示す機会があった。それは門扉と居宅をつなぐ小路の途中に生えているナツメの木だった。その小路は途中で90度折れ曲がっているが、その角の外側にその木はある。
2つの願い、あるいは目的をもって、賢明な農家の前庭によく観られた。1つは女性家族のために、もう1つは牛をつなぐためだ。その事例に倣い、計画的にこの木を、20年来育てて来た。
この木は、根を広く張り、広く張った根のあちらこちらに新芽をふかせる。つまり、いったん根付くと簡単には引き抜けない、だから牛をつなぐために活かす。この写真のわが家の木は、いわば3代目だ。太くなり過ぎた木を切り取り、その根から芽吹いた若木を代を重ねて更新させてきた。それは牛をつなぐためではなく、もう1つの願いを込めて植えている。
この小路の途中に人形工房や喫茶店があるから、妻は毎日幾度もこの小路を通る。そして、いやがうえにも目に入る位置に、このナツメの木がある。ナツメは古来、漢方では婦人病の薬として活かされてきた。
野生動物は今も、本能に誘われて、病気は食性を変えたり食を断ったりすることで癒している。当然、原始時代の人間は同様の癒し方をしていただろうし、食性の選択幅は他の野生動物以上であったことだろう。だから、今日のように、多くの薬を用いられるようになったに違いない。
今も、私たちのカラダの中にはこの本能が秘め隠され、生き続けているに違いない。この本来の生きる力を活性化させたい、と私はかねがね考えて来た。その理想郷をアイトワでは目指してきた。それは、私のカラダが教えてくれたことがヒントになっている。
勤め先を3度変えたが、3度とも、無理をすれば自宅から通えた。2時間前後の通勤時間であったからだ。だが、それぞれに事情があって、勤め先に近いところに1室を用意していた。にもかかわらず、睡眠時間を2〜3時間減らすだけで済ませられるようなら、交通費は自弁なのに、自宅に帰った。それはどうしてか、と考えたこともある。
大阪時代は独身寮だった。それは、社命で入れられた。残業禁止で肺浸潤を完治させるために、人事部から命じられた。にもかかわらず、ウイークエンドは、自宅に必ず帰り、野良仕事をした。今は1畝でフウフウだが、当時は3往復分ほど耕していた。それはどうしてか、と考えたことがある。
カラダが求めていた、としか言いようがない。現実に、最寄りの一室で8時間眠るよりも5時間であれ、自宅に帰った方が翌朝や翌日が快適だった。だから、今日まで持ちこたえられたように思っている。
この庭を万葉植物園のようにしようとしたことがある。イングリッシュガーデンを目指したこともある。それらのいずれの努力も無駄だった、と今では思い知らされている。アタマとカラダがハレーションを起こしたかのような心境にされ、挫折したが、それがヨカッタと思っている。そして今の庭になった。循環型生活を可能とする庭であり、あらゆる野草が鬩ぎ合う庭宇宙だ。
おかげで、予期せぬ時空になった。その一例が、大小2種の花を咲かせる2種のノバラの自生だろう。母が農業をしていた頃には共に生えていた。だが、久しく見られなくなっていた。だが近年、まず小さい方が咲き始め、次いで大きい方が咲くようになった。
きっと、野鳥や小動物の糞なり、その毛なりが運んだ種から再生したのだろう。こうしたアイトワの庭は意図せぬ草木が茂り、それがさらに、小鳥や小動物が集いたくなるような時空を創出することになったのではないか、と思っている。
ありがたいことに、この度の新郎は、長年にわたるアイトワの常連客であったが、そのわけをこの度知り得た。私たち夫婦が願う時空として活かしてもらえていた、と聴かされた。とても嬉しい。
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