社会システム

 

 ケイタイが故障した。妻は未だにケイタイを持たない。「頼むから」と言って「見守りケイタイ」だけ持たせた。公衆電話が減り、最寄り駅まで車で出迎えてもらう都合で不可欠になった。

 「見守りケイタイ」とは、保護者が被保護者に持たせるもので、3か所にしか発信できない。基本は父母と教師だろう。GPS付きで、どこにいるのか親機で補足できるから、都合のよいこともある。その小器が故障した。

 その最後の調整で、私が親機持参で出頭しなければならなくなった。駆けつけてビックリした。「本人だと証明する運転免許証か保険証」を示せ、といわれた。「この2つのいずれかが、当社の規定」だから、他にモット確かな本人証明があろうとも、応じられないと突っぱねる。それは「会社が、君たちを信用していない」査証だと言いたかった。

 当の本人より、いわば属性的なものの方を信用する社会、これは「えらいことが生じかねない」と思っていたら、案の定の事件が生じた。

 この「社会システム」と「集金システム」。その上に「大本営発表」的なウソを平気で重ねる首相。

 首相の大ウソ(放射能のブロックやコントロール)から始まった東京オリンピックは、ヤオチョウ、寝ぼけたような関係者総意の知恵、さらには国際的ワイロの嫌疑へと結び付かせており、たがのゆるみが際立ってきた。社会システム崩壊の腸くだろう。

 わが国の社会システムは末期的症状を示しているのではないか。