2泊3日の岐阜の旅

 

 明治村の、それも旧帝国ホテルの見学からこの旅を始めたのがヨカッタ。近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトの手になるものだが、この建築の流れはやがて「住宅は住むための機械である」と喝破したル・コルビュジェへと続いていく。この近代建築のありようが、近年になってより露わになった「人間の分解」や「人間破壊」を加速させた、と私は見ている、よき旅の始まり、との実感だった。

 近代建築は、鉄材、板ガラス、そしてココンクリートといった素材の可能性が、花開かせたものだ。そして、その可能性が人間の欲望を掻き立て、不自然を志向させ、昨今のストレス社会を生み出した、と言ってよいだろう。自然界にはあり得ない平面や直線に始まり、互換性が効く規格品の多用など、本来は奇異であるはずの造形を、むしろ斬新だと好意的に受け止めるような社会風潮を急速に広め、これがストレスの原因になった。

 つまり、2つと同じものを生み出させない自然界の産物である人間を、こうした奇異な規格化された、あるいは画一的な空間に集わせたり、棲みつかせたり、そこでさまざまな人間の営みを繰り広げさせたりして、次第に人間を改造し、今日のようなストレス人間を増やしてしまった、と私は見る。もちろんこの反作用は世界の随所で芽生え、広まっているが、今もなお北朝鮮の権力者などは、この奇異を好意的に受け止めている。

 村内を巡りながら、一列になって行進することさえ知らなかった日本人が、西洋文明に触れ、気後れしながら次第に背伸びをする過程を体感した。それはまさに、世界に冠たる江戸時代という基底文化が、近代文明の魔性によって崩壊される舞台の、あるいは過程の見学であり、良き旅が続いている、と実感した

 実は、明治村は2度目であったが、2度目であったからではなく、たまたまこの旅の直前にNHK-TVの番組で、映画『荒野の七人』を見ていたのがヨカッタ、と思った。この映画の観賞も2度目であったが、最初に見た時に、そのモデルであった『七人の侍』を(3度目になったが)見直しており、その時の印象とココロの中で他比した。基底文化に乗っ取った『七人の侍』と、近代文明に移行し始めていた時代の『荒野の七人』の対比であり、わがココロの移ろいを観察するための手立てにできたように思われた。

 私も例にもれず、かつては近代文明に感化され、ID(インダストリアルデザイン)コースある学校(国が、3年前に2つの大学で新設したコース)を選んでいる。それがヨカッタ。そこで学ぶうちに、工業文明とは、まるでカステラの上に棲みついたアリのようなものだ、と思った。カステラを食い荒らしながら、繁栄だと誤解しかねないシステムが、産業革命が誘った文明ではないか、と疑い始めたのだから。

 時のアメリカの繁栄(日本との経済格差は10倍以上あった、と思う)に素直に共感できず、むしろ反感を抱きかねない心境だったからだ。棲みついたところがアメリカというカステラであり、カステラを食い散らかさない生き方をしていた先住民を邪魔扱いし、カステラを食い荒らしながらデカイ顔をしている、と思わないと対等にはつき合いえそうになかった。私が当時感じた圧迫感を思い出しながら、見学は進んだ。

 翌日は、友人の車で「養老乃瀧」に案内された。この親孝行の逸話で有名な滝に至る道を走っていた途中で、『養老天命反転地』という名称の公園案内が目に留まり、今は亡き荒川修作氏を偲んだ。この公園の構想段階で、同氏は一昼夜わが家で過ごしている。その時に近代デザインの反自然や非自然について語らい、その後この公園の巡回路のデザインが平面から曲面に改められ、開園時に多数の転倒者を出させてしまった思い出だ。この時に、同氏から教えられ、わが家では庭のタンポポの葉を食するようになっている。

 「養老乃瀧」も2度目の訪問だったが、時の移ろいを体感した。坂道がこれほど続いていたとは、と驚かされた。まったく記憶に残っておらず、恐れ入った。ということは、20年ほど昔は、この坂道をなんなく登れたのだろう。この現実認識がまたヨカッタ。「これが見納め」と自覚した。「死生観」の体感だ。

 滝つぼでは思わず両手で水をすくい、ゴクリと喉を癒した。ゆっくり登ってきたとはいえ喉をからしていたのだろう。滝を見上げながら、大昔の孝行息子に思いをはせた。そして当時の景観を想像した。今は観光地化され、開けているが、当時はうっそうとした木々に囲まれ、道なき道をかき分けてたどり着いたのだろう。

 孝行息子の、父を思うココロのありようを偲び、羨んだ。病弱の父のために、この水でヒョウタンを満たすために、この道程を通ったわけだ。そのココロは一帯の霊気まで汲み取れたのだろう、と思った。

 酒好きの父は、その水をいつしか酒のようにありがたく愛飲するようになったに違いない。この孝行話が時の女帝の耳に届く頃には、滝の側で酒が湧き出す話になっていたのではないか。何せ1300年も昔の逸話だ。

 女帝は行幸の途中でこの滝と孝行息子の噂を耳にしたようだ。女帝もこの道のりを瀧に至り、瀧の水を飲んだのだろう。そして「まさに酒だ」と言ったのではないか。年号は「養老」と改められている。来年、養老改元1300年際が催される。

 映画『荒野の七人』を思い出した。と同時に中国の「酒泉」も思い出した。

 『荒野の七人』では、1人のガンマンが死に際にウソの返事をしてもらい、得心して死ぬ。このガンマンは、残る6人がなぜ身の危険を顧みず、村人を救おうとするのか、解せぬままついて来た、との設定だ。そして、残る6人の動機を「黄金目当て」であろうと勘繰ったまま死に時を迎えてしまう。そして「そうだ」と聞かされて得心する

 『七人の侍』ではこのようなエピソードを、必要としていない。

 「酒泉」は、かつて敦煌を訪れる道中で立ち寄った。半砂漠地域にあった。その昔、大軍が軍事行動で駐屯した地だと聞いた。その時に、近在の村人が酒を献上したが、それが逸話を生んだ。なぜなら、その酒を将軍は飲まず、すべてを近在の泉に注がせ、その泉の水を汲みとらせてすべての将兵に振る舞ったという。爾来、この泉は酒泉と呼ばれるようになったという。

 それぞれの話に、誇張なり偽りなりが伴っている。だが、私は「養老乃瀧」の逸話に一番ココロを惹かれている己に気づき、日本人であることを嬉しく思った。

 この後、この地域がいかなる歴史を秘めた土地柄であるか、人々がいかに自然の威嚇、つまり大水と戦って来たのか、あるいは水と戦う過程で、いかなる陰惨な歴史も重ねて来たのかなどを、2つの施設を訪れることで追認している。

 この間に、思うところがあってSCに立ち寄り、食品館と日常雑貨館を覗いている。食品館では「濃いめのカルピスウォーター」が売られており、その隣に水素水と銘打った水が「カルピスウォーター」の2倍ちかくの値段で、並んでいた。

 かくして、最終日を迎え、今一度「『七人の侍』を見直したい」と思いながら目覚めた。カーテンを引き、願っていたように好天の伊吹山に登れそうだと知って悦んだ。

 


旧帝国ホテル

フランク・ロイド・ライトの手になるもの

旧帝国ホテル

良き旅が続いている、と実感した

監獄

旧監獄
   

坂道がこれほど続いていたとはまったく記憶に残っておらず

滝つぼの水を掬い取って飲みながら

一帯の霊気まで汲み取れたのだろう
 

いかなる陰惨な歴史も重ねて来たのか

陰惨な歴史

大水と戦って来たのか