バブル時代の思い出

 

 自動車に揺られた時間も長かったが、久しぶりによく歩きもした。淡路島に、こんな公園ができていたとは知らなかった。バブル時代の遺物だろうが、よくぞこのような半端な公園を造ったものだ、と思った。

 この公園をつくる過程で、酒席での打ち合わせがどれほど重ねられ、中元や歳暮がどれほど送り届けられたのだろうか、とさえ考えた。

 こうした事業の多くは、税金という薄く広く集められた金の、もっともらしいばらまき方を構想する人たちと、それにたかる人たちの協奏曲に行き着くことが多い。

 このたびは、この公園に立ち寄るゆとりを得た。そして、気付かされたことがある。

 後世の人たちにとっては、自然のまま放置されていた方が、ずっとありがたかったことだろう、ということだ。ガラーンとした公園を歩みながら、その管理やメンテナンスなどで垂れ流される経費や汗のことまで考えた。この公園を訪れる人の頭数や、滞在時間でそれらを割れば、どのような数字がはじき出されるのだろうか、とまで考えた。

 いくら時間を重ねても、例えばパリの凱旋門のように、あるいは利休の2畳の茶席のように、観光資源としての街も生じそうにはない。

 自然のまま置いておけば、空気の浄化能力、雨水の保持能力、木材資源の生育能力、はたまた生物の多様性維持能力など、計り知れない恩恵をもたらしていたことだろう。

 円形劇場のような大きな施設もあったが、一度も活かされてはいないだろう。大きな池には、ビックリするほど大きな亀が甲羅干しをしていた。亀は喜んでいるように見えた。


 

よくぞこのような半端な公園を造ったものだ

大きな亀が甲羅干しをしていた