いつしか話題は「自立」の大切さ、になっていた。これは私の「指の負傷」のオカゲ、と言えなくもない。もっと正確に言えば、学生をゲストルームに迎え入れたが、その一人がすぐに包帯に気づいてくれたオカゲだ。
いきさつを説明すると、「なぜ病院に行かなかったのか」と問う。妻も(色が変わり、腫れた私の指にシップをしながら)「骨が折れているかどうかだけでも先に診てもらいに行くうべきだ」と、うるさかった。その男子学生は「ボクなら絶対に病院に行く」「何でもすぐに病院に行く」「この前も、口の中に小さな白い粒が出来たので、行った」。そして、医者に「心配ない」と言ってもらえ「安心した」と話した。
この発言が、この日の主テーマを決めさせたようなものだ。それは真の自立である。そして歓談の締めくくりは、「おにぎりぐらいは自分で造ろう」だった。しかし、それまでの間に、オヤツ、昼食、デザート、そして4時間近くの語らいの時間があった。
「自立」と言えば、日々の暮らしを成り立たせるための生活の糧・収入を、十分自分で稼いでいること、と思っている人がいる。私はそれで十分、とは思っていない。むしろそれは自立ではなく、たまたま今は「社会システムにうまく組み込まれている」と言っているに過ぎず、「リストラされないようにご用心」と言いたい。
実は、この想いを妻に伝えたくて、新婚当初に「鉄は熱い間に打て」途ばかりに実施したことがある。私は幾つかの設問を用意し、妻に問いかけたが、その1つをこの度、学生に披露した。
「本当に世の中がイヤになったら」と切り出し、「私は、背負えるだけの荷物を背負い、山奥に分け入り、ロビンソンクルーソーのような生き方をしたい」だった。その時に妻は「
ついて行く」との覚悟を決めた。その後、私は酒の「肴」にこの話題をよく持ち出した。その折に、持参すべき荷物はおのずと道具類が主になることに気付いている。
ロビンソンクルーソーになれば、病気や怪我をしても、もちろん医者は当てにできない。だが、妻はさほど恐怖心を抱かなかった。それは無医村で生まれ育ったからだろう。恐怖心を抱けば、妻が大好きな小鳥は「病院なしに生きている」。私たちは人間だ。もっと賢いはずだ、と言おうと思っていた。
その後、幸いなことに妻はまだ入院していないし、風邪を引いても医者に、ということは生じていない。だが、「私は医者に駆けつけたり、入院したりしたことがある」と学生に吐露した。マムシに咬まれたり、スズメバチに刺されたりした体験さえある。
マムシの時は、妻が私に無断で救急車を呼んだ。スズメバチの時は、連れて行かれた医院で、11カ所も刺されており、看護婦さんにも笑われた。しかし、人間ドックには「勤め人時代」に2〜3度行かされたきりで、行っていない。大事にすべきは、自己診断力だと思っている。
真の自立とは「お金を当てにしない生き方ができるようになること」だ、と我流の意見を開陳した。つまり、「お金さえあれば一人でも生きて行ける、との自信」の対極である。私は、工業社会の最大の罪は「お金さえあれば一人でも生きて行ける」との油断を人々の心に植え付けるような社会にしてきたこと、と思っている。それが、お金がなければ片時も生きてゆけない様な生き方に甘んじさせ、ストレス社会を生み出し、母子家庭の過半を相対的貧困相にしたりした、と睨んでいる。断水1つで孤独視する老人すら出している。
もちろん私は学生にも、「お金さえあれば」の意識は、お金という目には見えない鎖に自らを縛り着け、お金の奴隷にされかねない、との想いも説明した。だからと言って、私はお金を粗末に思っているわけではない。むしろ、それなりに上手に活かしているはずだ。だから、妻に、私は生命保険には入らないと宣言し、保険金という有限の資金に頼って生きる心もとなさも語った。そのお金も活かし、真の自立を目指すように、と勧めた。その秘訣の第一は、お互いが不可欠の関係になる事ではないか。次に、その輪を広げる努力が大切ではないか。
こうした考え方をダラダラと語ったようなものだが、まずは真の自立心とは何か、と考えたり、話し合ったりする人になってもらいたいと考えた。
そのようなわけで、昼食としてコンビニで買い求めたおにぎりを持ってきた学生に、「おにぎりぐらいは自分で造ろう」とかたることで締めくくった。
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