カラスと現政権
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カラスと知恵比べをしていた時に、悲しいニュースが飛び込んできた。また痛ましい犠牲が、同時に7人も出た。ビックリした。 とても近しい人が、いまだ中東で似たような立場で活動中だけに、許しがたい気持ちになった。もちろんこの気持ちは今後も変わるまい。 しかしその後、「7人もの犠牲者、無言の帰国」となり、空港で現政権の受け入れ方を知り「?!?」となった。「何かがオカシイ」と思った。 「そうか」「参議院選挙の投票日が間近に迫っている」と思った。また国費で、つまり国民の税金を活かした選挙運動か、と疑った。これはカラスと同じような黒装束を見て、私のアタマがボケた証拠だろう。「カラスはだませても、人間は騙せないぞ」と叫びたくなっており、カラスと人間を比較するなど、ぼけていた証拠だ。 でも考えた。「そういえば、この前の選挙では」と、過去を振り返った。国民が積み立てた年金基金を株式購入に投入し、いわば禁じ手を犯し、アベノミクスの1本である株高を演出し、大勝した。その後、どうなったか。株式は下落、年金基金の時価評価は少なくとも5兆円の損を出している。だが、アベノミクスを信じろと迫っている。 道半ばだ、とも叫んでいる。太平洋戦争の時もそうだった、甘くて勇ましい言葉(大本営発表)が多弁に発せられていた。国民は刻々と戦況が悪くなるのを肌で感じながら余計に甘くて勇ましい言葉に縋りついていった。「似て来たなあ」と思った。 この日本人の癖をつくやり方を、誰から教わり、繰り返しているのか。騙せないカラスに手を焼いていた私は「?!?」と思った。 「?!?」と思いながら、気を取り直し、黒装束の出迎えを眺めなおし、「今度はイメージ作戦の露骨な演出」ではないか、と勘繰った。カラスとの知恵比べの最中であったから、頭がこんがらがっていたのだろう。 黒装束で統一した人たちの振舞が、まるで「戦時中の英霊の迎え方」のように見えた。それは、次々と英霊を生み出す序曲に活かされていた。 余りのもの落差にも気付かされた。多くの日本人がこれまでに、手弁当で、もっと命がけの地域にも出かけており、民間外交に貢献し、現実に命を落とす人も出た。その時の自民党 政権の犠牲者の受け入れ方と、あまりのも扱いが異なる。それはどうしてか、と考えてしまった。 「ハハーン」と気付き「案の定」と思った。 その後、今や日本は「あれ以来」有志連合の一員となりISの標的になっている、と外電での指摘があった。あれ以来とは、イラク派兵のことかと思いきや、そうではなかった。むしろ、現首相が新春に、中東で演じたパフォーマンスのことだった。 エジプトでシーシ大統領と会談し「今、世界で起きている過激主義の流れを止めなければいけない」などと訴えた。ヨルダンやイスラエル訪問時は、さらに勇ましくなり、「ISと戦う周辺各国を支援する」とうたい上げ、2億ドルもの大判振る舞いをした。 これは「マッチポンプだったんだ、と私は不安になった。 なぜ日本国民は騒がないのか。なぜ怒らないのか、と不安になった。カラスのズル賢さに閉口させられていた時だから、私のアタマは騙されまいと身構え過ぎていたのか。 「コントロールとしてブロックという大ウソ」から始まったオリンピックも、デタラメ続きだ。圧倒的多数の憲法学者が、憲法に違反すると断じた法律を、一政権の解釈一つで造ってしまい、「憲法九条」に裏打ちされた戦争をしない国との国民的合意も亡き者にされつつある。後者にいたっては、その前に、現首相はアメリカ議会で、そうしてみせますと、いわば啖呵を切り、拍手喝さいを受けていた。 |
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