何年か前にマムシを見かけた時もそうだった。今回も同様だった。前兆があった。前回は、前日にマムシを話題にした。今回は、なぜか私は先週の来客にマムシの思い出話をした。その後、妻が2日前(先週土曜日)の夜、マムシの気が立つ頃だから用心を、と話題にした。前回はその翌日に、今回は2日後に、それぞれ何年来ぶりにマムシと遭遇しとことになる。これは偶然か、と語り合った。
何年来、マムシのことなど頭に思い浮かべていなかっただけに、不思議な気分にされた。マムシがいなくなったことを心密かに嘆いてきた私は、「いた頃の緊張感」を懐かしげに振り返った。暗がりに、素足に下駄ばきで新聞などを取りに出た時に、ふと立ち止まり、マムシを踏みつけるのではないか、と思うことがよくあった。そのころのココロはシャンとしたものだ。姿勢を改め、歩を進めたものだ。侍を、思いもした。
近ごろはどうだ。気楽に歩いている。そして転びかける。
このたびの遭遇は、そのことと次第はこう進んた。
旧玄関から一歩踏み出そうとして目を疑った。赤マムシ(この庭では初めて見た)が、2歩ほど先で身を縮めていたからだ。こうした場合は反射的に動くしかないのだろう。よくぞカメラを手にしていたものだ、と思う。
逃げだしたマムシを写真に収めた、間髪を入れずに棒切れを探した。「これだ」と手にした頃には既にマムシは草むらに入っていた。急ぎ追って、ここら当たりと思われるところを突き刺した。手ごたえがあった。
苦労して左手で写真に収めた。気が抜けて坊を持つ右手が緩んでいたら逃げられて「見失っていたところだ」とホッとした。その瞬間に、アタマのチャンネルが勝手に切り変わったようだ。頭で考えはじめた。それからが大変だった。
押さえつけた棒に、マムシは盛んに牙をむいて噛みついていた。押さえつけた位置が尾に近く、ヤバイと思った。素足にヘップサンダル履きだった。
首に近いところを押さえ直したい、と思い「エイヤッ」とばかりにトントンとを棒を突き直すと、3度目に手ごたえがあった。この後がさらに大変だった。
ケイタイを左のポケットに忍ばせていたのが幸いだった。だが、左手では使いにくい。いわんや親指に包帯を巻いていた。あわてた、焦った。エイヤッと、左右の腕を変えた。ケイタイを落さずに済んでヨカッタと思った。
妻がすぐに出て、加勢を得られたことが大きかった、抑え役を代わってもらい、鍜治場の小道具の1つ、鉄バサミを持ち出し、挟めた時をもって9割りがた問題は解消だった。
後は、前回と同じところに逃がし行こうかなど、処分の仕方の相談だった。
これで2度、今週は妻をからかうことができた。この赤マムシが最初だった。「皮をむいて食べようか」と提案したが、返答もなかった。花連なら「ビンを探して来い」といえば、嫌な顔をするだろうが、探してきただろう、と思った。
2度目はヒヨのことだった。防鳥ネットを張りながら、昨年のことを思い出した。「今年は、捕まえたら食べよう」と妻に迫った。昨年も隙間から入り込み、腹いっぱいになってから逃げ道を見失い、暴れたヒヨが2羽いた。「キミは食べなくてよい。料理だけしてくれたらい」と迫り直すと、マムシの時とは違い、「料理も、食べもしません」と応えることができた。
「それにしても」と、私は「用心しないといけないね」と話しをマムシに切り替えた。すると、すかさず妻が「暗がりだったら踏みつけていたところですネ」と話しを引き取った。「暗がりに出る時は気を付けてください」とか、「マムシはペアーを組んでいることが多い」などと分かり切ったことを話した。
そこで、金曜日の朝飯前に、妻が踏み込まざるを得ない草むらの草刈りもした。新果樹園の堆肥の一部、堆肥の山に至る小路の片側だけ草を刈った。
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