世界の潮流

 

 人類有史はパックスロマーナ(ローマ帝国のもとでの平和)から始まり、近世はパックスブリタニカから、そして近代はパックスアメリカーナから始まったような一面がある。それにならって言えば(もはやパックスアメリカーナではなく)これからはどうなるのか。

 次の候補として中国、EU、あるいはロシア新連合がせめぎ合っているのだろうが、そうは問屋は卸さないはずだ。工業文明は混とんとしており、資本主義のありよう自体が制度疲労を呈している。英国人の多くは、こうしたことを先刻承知に違いない。

 この5日間に大きな変化があった。EUから離脱した英国は、次期首相を早々と誕生させた。中国は南シナ海問題で、世界の秩序を無視するかのような立場を表明した。アメリカは、犬の遠吠えに終始し、日本はそのアメリカの腰巾着を決め込もうとする政権を支持した。なぜか日本のありようが、かつてババを引いた時の三国同盟を思い出させた。

 「案の定」と言ってしまえばそれまでだが、日本は間違った選択をした、と見る。

 今は急ぎ、新生日本の構想を固め、2025年ごろまで軌道に乗せておかなければならない時だ、と私は見ているが、10年後のその姿が次第に露わになってきたように思われてならない。それだけに、南京問題や慰安婦問題などをはるか以前に清く解決して置くべきであった、と悔やまれてならない。

 100年ほど前に、つまり世界がそれまでのありよう(植民地支配というグローバリズム)の手じまいに取り掛かっていた時に、日本はババを引き、70年前にババを掴んでいたことを思い知らされた。このたびは、性懲りもなく、それに似た失敗を繰り返しかねない道を私たちは選んでしまった、と見ておいてよいだろう。

 本来の日本は、次代を切り拓く必要用件を最も満たしている国であり、民族であるがゆえに、残念だ。英国が羨ましい。いわば、灸をすえそこねた日本国民の一人として、灸が効きすぎた英国民がうらやましい。メイ新首相は、外相の選択で辣腕を振るった。

 英国人魂は、ポスト工業社会、つまり第4時代に焦点を絞り、新しい秩序を切り拓こうとするだろう。それは、プロテスタンティズムが生きる英国民が得手とするところだ。ポスト消費社会を選択し、ポスト工業社会を切り拓こうとするに違いない。