持参した読み物

 

 国は「毒ガスを使っていない」と言っているのに、中国人の証言を話すそうじゃないか。国が使っていないと言っているのに、「外国人の言葉を信じてよいのか」と迫ったり、迫られたりして、国民が言い争うことがあった。

 こうした言い争いが原因で、日本人同士が仲たがいをしたり、人を殺めたりすることさえあった。こうした事例を多々知る私は、このたび、救われたような気分になった。多くの子どもがこれを学ぶ機会として活かし、ゆるぎないココロを育む一助にして、健全かつおおらかに育ってほしい、と願わずにはおれなかった。書籍の力だ。

 物語は陸軍が秘密にした島から始まる。広島県には長い海岸線がある。そのほぼ中央にある竹原市の忠海(ただのうみ)港から連絡船で15分ぐらいのところに、小さな島がある。周囲4kmほどの大久野島。かつてここに陸軍技能者 養成所と呼ばれた陸軍の工場があり、ジュネーブ議定書で化学兵器を作らない、使わないとの国際合意があったにもかかわらず、わが国は毒ガスを秘密裏に造っていた。

 黄1号と呼ばれたインペリット。体につくと水ぶくれになって膿む。ガスを吸い込むと咽や肺がやられる。黄2号、ルイサイト。黄色みがかった油のような液体で、皮膚につくと火傷のようにただれ、うずくように痛む。茶1号、青酸は、運動神経を麻痺させ、肺や心臓をとめる。赤1号と呼ばれたジフェニールシアンアルシン。鼻、咽、目を強く刺激し、肺がやられる。そして催涙性ガスの緑1号。クロロアセトフェン。目を刺激し、涙が激しく出る。

 これら5種類の毒ガスを「化学兵器は血を流さず敵に勝つ人道的兵器」と称して中国で用い、卑劣極まりない作戦を展開した。

 毒ガスを武器に用いることはローマ時代から始まっていたらしい。この使用の是非は、1899年にハーグで開かれた万国平和会議で討議され、使用を禁じる国際条約が出来た。ハーグ陸戦条約である。にもかかわらず、第1次世界大戦の最中に、ドイツ軍はフランス・カナダ連合軍にたいして1915年4月22日に初めて毒ガスを放射した。この日をイーブルの暗黒日として欧州の多くの人は記憶にとどめた。

 わが国は1937年から、「陸軍技能者養成所」を創設するから応募するように、という募集案内を学校に届け始めている。1938年には「国家騒動員法」が出来、翌年「国民徴用令」が出来た。これで、国民は「白紙」と呼ばれる紙1枚で、軍事産業などで働かされるようになった。大久野島では、徴兵検査前の男子360人が送り込まれ、働き始めた。

 防毒マスクやゴム長靴など完全防備で働くが、ガス焼けと呼ばれる症状が出た。熱が出て、顔は黒みがかった赤茶色になり、目だけギョロギョロする。発作が出ると、激しく咳き込み、鼻血が出て、痰を吐き、体を丸め、波打たせるようになる。

 1940年には、広島県や岡山県から高等小学校出身の15歳くらいの少年が養成工として採用され、3年間の厳しい訓練が施され、毒ガス製造に当った。機密保持のために20年間の雇用契約も結ばれ、自分に関することが理由で退職することを許されなかった。

 毒ガスは大砲の弾に積めて試用された。中国で一番多く使われたのは赤1号で、激しく咳き込む。ひるんだすきに攻め込んで、毒ガスを使った証拠が残らないように三光作戦を展開した。殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす作戦だ。

 150万発、2000回以上も使用し、老若男女を問わず、皆殺しにした。

 著者は、その1例、北京の南に隣接する河北省の中央部にある小さな村、北坦村を訪れている。地下壕が張り巡らされており、三光作戦が展開されたときは1000人近くがひしめきあっていた。中国人は、毒ガスにはニンニクが効くと語り合い、分け合って食べ、日本軍の攻撃に備えた。日本軍は作戦を成功裏に収め、井戸は死体で一杯になった。

 中国は戦後、北坦村を遺跡とし残し、後世に戦争のむごたらしさを教えるために保存している。

 日本は敗戦後ただちに、大久野島で毒ガスを造っていた証拠の隠滅を厳命している。もし見つかったら罰せられると必死になったのだろう。自衛隊も投入し、施設をことごとく破壊し、証拠となる資料などはことごとく焼却するなど、徹底的に証拠隠滅を計っている。

 そして、日本で最初の国民休暇村にした。

 中国は戦勝後、日本の国民も、中国の民と同様に、日本の軍国主義の犠牲者であると考えて、日本国民に負担を強いる戦争賠償請求権を放棄した。

 わが国にも、こうした彼我のありようを鑑みる人たちに恵まれたようだ。国が、もし見つかったら罰せられると必死になって隠滅したはずの証拠などを掘り起こし、大久野島毒ガス資料館を設立。1988年4月に開館、今に至っている。

 「戦争は一気には始まらない。少しずつ近づいて来る」

 機密保持法を作ったり、戦争が出来る法整備をしたりして、少しずつ近づいて来る。