柿の皮を吐き出して、身だけ食べるサルが初めて現れた。皮をはぐように食べるわけだから、無駄になる部分が実に多い。次から次と手を伸ばし、一口しかかじっていないのに捨てられた実も多い。木についている実の数は限られているのに、と実にもったいない気分にされた。
宮崎県の幸島でのサルの餌付けは有名だ。とりわけ、与えられたイモを海水で洗った食べる子ザルが現れ、この習慣が世代を超えて引き継がれ、文化にしたことが有名だ。
わが家に来るサルが、皮を吐き出して、身だけ食べるもったいない食べ方を文化にしたら大変んことになる、と心配した。地下資源と人間の関係とは違い、公害問題や、ひいては気候変動問題まで引き起こすことはないだろうが、心配だ。先が見えている。
妻は「おなかが空いているのね」と同情的だが、私は、このやり方のまま、食べ物が多い畑にまで侵入を許し、サル人口を増やさせたら、大変なことになり、と思った。
そこで、当初は「電柵があるのに」と首をかしげながら、電柵の整備にも手を付けた。今は漏電の時期だ。ヤブガラシやジネンジョなどツル生植物が盛んに伸び、クルミの枝が垂れ下がり、そのツルが巻き付いたり、葉が垂れたり、シュクコンソバが伸びて絡んだりして電線に触れ、漏電させる。
「これではマズイ」と見て、恐る恐るそれらを取り除き始めた。始めの内は作業が順調に進み、あらかたの生涯を取り除いたが、その終盤になって事件が生じた。
「ドン」の体験だ。ドンと、一瞬カラダに衝撃を受け、ビックリした。これなら効く、と体感した。ヨカッタ。
もちろん、取り除いたシュクコンソバは食材として台所に持ち込むことにした。そこでオマケをつけたくなった。妻に任せておけば収穫しないが、きっと食材となる、と見たネギを収穫し、付け加えることのした。それは、火曜日に植えたネギ苗の、不要な部分を切り取って整理したものだ。
この整理をしながら考えた。ネギの苗は、いったんカラカラに乾燥させたものだから、青く残っている部分は、水分欠乏に耐えながら生き残ったものだ。それだけに、それなりのパンチが効いており、よい味がする。この知恵は、サルには真似は出来ないだろう、と考えた。
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