私の落ち度
|
|
この塗装は、プロでも難しい作業だ、と思う。だからガラスを外して塗り、乾いてからガラスをはめる。あるいは、ガラスをはめたまま塗るとすれば、ガラスに塗料がつかないように、マスキングテープを塗るなど、工夫を要する作業であった。 問題は、何故かその配慮に私はまったく思い至らず、作業を始めてもらったところにある。前もって、水性塗料の特色を語った。水で自由に薄められること。乾けば水で溶けなくなり、剥がし取りにくくなること。また、まえの塗装で剥がれかねない部分はブラシではがし、塗装面の汚れは拭い去ることべき点は、実際に試みて見せた。 おそらくこの作業に当たった2人の学生は、初めての塗装経験であり、難しい作業とは思わずに引き受けたのだろう。一度「難しいだろう」と声をかけると、コクリと2人はアタマを縦に振っていたが、音を挙げず、実に根気よく作業に取り組んだ。 2時過ぎに雨が降り出し、中断することになったが、この2人は、それまで黙々と取り組み、作業を終える前に、塗料を小出しにした容器と、刷毛を、水が入ったバケツに、教えたように沈めていた。 この間に昼食の時間があった。なぜかその時も、この塗装の難しさを私は話題にしていない。これも私の落ち度だ。なぜこの落ち度が生じたのか。言い訳をするなら、その第一は、私が学生に与える作業の成功を第一目的にしていないことだ。学生と触れ合い語り合う手段の1つにしか位置付けてこなかったことだ。 昼食時に、この日も幾つかの話をした。まず、食事について。5人の学生は、いずれもがコンビニでも買えるおにぎりやパンなどを持参していた。飲み物は、ペットボトル派と、魔法瓶派に分かれた。そこで、私は、この飲み物から話題にした。 私は魔法瓶派に軍配を上げ、そのわけを話した。まず、昨今は家庭にまでペットボトル入りの(工場で生産された)飲料が普及し、「リーフ茶」という言葉を造らせたことを指摘した。茶葉を用いて家庭などで入れる茶のことだ。次に、茶を入れるのを面倒とか、ペットボトル入りの茶を便利などと考えていてよいものか、と考えてもらった。 その説明に、動物園のケモノも例に引いた。彼らはジッとしているだけで十分存在価値があり、部屋の掃除もしてもらえるし、時間が来ればプロが健康に配慮した餌も与えられる。だが、檻に閉じ込められている。人間は檻には入れられないが、部屋の掃除を他に任せたり、好きな飲料を選んで飲みたいと願ったりすればお金がかかる。そのお金を目には見えない鎖と見ることはできないか。こうした話題の方が、私には塗装を話題にするより大事に思われてならない。 「おにぎりぐらいは自分で作ろう」とも提案した。この庭にはたくさん小鳥も来るが、お金を持っていない。だけど、どの水は飲めるのか、自分で判断できるし、食べてよいものも自分で判断している。もちろん、それが出来なくなった私たちの欠陥も指摘した。たとえば、耐性菌への備えだ。免疫力を高めておくことが、これからいかに大切になるか、に気づいてもらいたい。だから、焚火の時に、健康に良い煙を体で覚え、吸って体を鍛え、悪しき煙を吸わずに済ませられる人になるように努めてほしい。 話を塗装に戻す。今となっては、とても残念なことだが、この日は焼き芋にありつけず、バタバタと終えたために、反省の機会を持てなかったことだ。 塗装の途中で、塗り間違いが生じた折は、塗料が乾く前にぬぐい取っておいてほしかった。さもないと、水性塗料であったことが逆に災いし、とりわけ摩りガラスにこびりついた分は剥がしにくい。さらに、塗り間違いを失くす工夫はないものか、と疑問を持ってほしかった。質問し、得心できる回答が得られなければ「これ幸い」にしてほしかった。つまり、得心できる回答を自分で探す。なければ自分で考え出すクセを身に着ける。 「そうだ」これぞインターンシップに立ち向かう前の彼らに、よき教材として活かせるようにしよう。そのためにジックリと取り組むことに |
|