対照的な応対

 

 電話システムのリース契約を切り替えることになり、とっくの昔に終わっているはずの工事が未だに終わっていない。時間計算で言えば、相手もまったく計算があっていないだろう。複数の男子チームに、とても時間をとらせている。その自分を犠牲にして尽くし合う姿はスバラシイ。会社のために尽くしている。

 それに応えて、もちろんわが家も、経費計算で言えば、不要な出費も強いられた。要は、彼らの「売込み」に応えたわけだが、性能的に、思惑が外れ、その埋め合わせにチームは難儀している。その難儀の姿が美しく、形あるモノの経費はわが家がもつ気になったしまった。妻に実情を言えば、バカみたい、と言われかねない。

 でも、私はチームの連携と、助け合うことにささやかながら意義を感じ取っている。正確に言えば、チームが「性能的に可能」と見て売り込んだ工事が、かなわなかったことが原因だ。わが家が少し経済的負担を覚悟しないと、旧来の性能さえ満たされない事態に至ったわけだ。妻から見れば、大の男が何人もかかって、何をつまらないことをしているのだ、と笑う気にもなれないだろうが、私たちは真剣だ。

 実は、これとまったく逆のことが、Wi−Fiで生じている。他社のWi−Fiをやめさせておきながら、性能的に不十分なまま、放ったらかしにされていた。ここが、電話のチームと違う。電話のチームは、需要者の声に迅速にこたえ、至らぬところを率直に認め、なんとか埋め合わせようとする。それが、私の目には愛社心の賜物に見える。

 私がチームの連携と、助け合うこによって、このチームはどこまで売り込むことができる性能であるかどうかを実地試験して、実感できることになるはずだ。大きな目で見れば、これは個(の後学)にとっても、地球という全体にとってもプラスになる。

 Wi−Fiの方はまったく逆だ。「電話での応答はすべて録音させていただいております」と断っておきながら、「その録音をコピーして、提供してほしい」との願いを聞き入れてくれない。会社に提供し、改善を迫らないと個(の後学)にとっても、地球という全体にとってもプラスにならない。

 「そのような要望をされたら、それに応じるか否かを検討するために、また相当の時間を要してしまいますよ」と来た。なにせ、無償期間中に機能を有効化させる約束をしておきながら、果たさず、有償期間に入ってしまった。そうと知らせてから、1カ月が経過したのに、「それがわが社の欠陥なんです。何事にも時間がかかるんです」で押し通す。要は自分たちの保身に汲々としている。

 それがNTTか、と言えばまったく違う。同時並行的にまったく違う対応に関わっているからよく分かる。組織は大きくなってはいけないと思う。社員が社員の裁量内で、様々な動きをしてしまい、次第に、悪しき機能体になってしまうのだろう。

 私はアパレル時代を思い出した。クレームがあれば、入社当時は、厳しいクレームはすべて相手は「ヤクザ」のごとくに報告されていた。やむに止まれず私は「クレーム総責任者」を買って出た。その奮闘記も含め『ブランドを創る』という一書にまとめた。

 持って行きよう1つで、社員は一丸となる。だからだと思うのだが8年間の増収増益を誇れたのだと思う。1986年までのことだ。その想いで言えば、玉石混交はいけない、と思う。しわ寄せは、外に向かわせてしまうに違いない。

 「キチガイに刃物」お持たせるようなことが起こりかねない。つくづくそう思った。