目から鱗

 

 それは常寂光寺の本堂の庇で、大きなスズメバチの巣を見つけたことから始まる。その巣を子どもだけで仕留めた思い出だ。仕留めた巣から白いハチの子を次々とつまみ出し、ツルッ、ツルッと飲み込んだ思い出だ。カラダがタンパク質を求めていたのだろう。

 私はまだ5〜6歳だったと思う。小学6年生のリーダーが、大きなボールのような見事な巣を仕留めた。その準備として、長い竹竿、大きなナスビ、そして焚火を用意した。大きなナスビを長い竹竿の先に突き刺し、焚火で焼いた。その焼きあがった大きなナスビでスズメバチの巣をトントンとつつくように長い竹竿を操った。

 スズメバチが次々と、黒くて大きなボタン雪のように、フワフワと、ついにはポトポトと落ちて来た。その様子を見上げながら、私は歯がゆい思いでスズメバチを眺めた。スズメバチを応援していた。どうして熱いナスビにばかり目を向けるのか、と歯がゆい思いをした。竹を操っている子どもに気付き、襲わないとイケナイ、と歯がゆかった。

 この体験は、終生忘れ得ない思い出になった。五感を超えた実体験になった。

 その後、何年かして、ジャングルブックに触れた。まだ十分に文字が読めず、父に読み聞かせてもらった。これも五感を超えた実体験になった。

 母は父を「鬼のような人だ」と嘆くことがあった。だが、私は違った。母は、熱いナスビを恨むばかりのスズメバチに見えた。その歯がゆさを私は父と共有していたように思う。その父が、太平洋戦争勃発時には「戦争は買い」と思っていた。その錯覚は敗戦まで続いた。最後まで大本営発表を信じたがっていた。多くの人は、信じたがっていたように私は感じていた。これも私にとっては五感を超えた実体験になった。