むしろ楽しんでいる

 


 火曜日の「朝飯前のひと仕事」は、バケツ17杯分の液肥を、10数分かけて、9種類の夏野菜とラベンダーにまいた。その後、7時20分までの約1時間半を、畝の耕し直しに投じた。この一連の作業を通して、楽しかったことが3つあった。

 その最初は、妻が想像したシカの姿を、私も2日かかりになったが連想出来たことだ。やっと私は、菜園に入ったシカは決して紳士的ではなかったことが分かった。こえまでは、野菜を傷めないように畝間の溝を歩んでいる、と見ていたが、それは歩み易かったからに過ぎなかったわけだ。

 このたび長い畝を仕立て上げたが、障害物がなにもないこの畝にも両側に溝があり、溝も整地したが、シカは溝ではなく、畝の上を歩いていた。後刻、この点を妻に教えると、その方が「気持ちが良いのでしょうネ」と目を細めた。妻もきっと、子どもの頃に、同じことをした母親を困らせたのではないか。

 2つ目は、その翌日のことだ。短い畝を耕し直したが、いつものごとく、先ず周辺の草抜きをした。ドクダミの地上部やシソなどマルチングに活かせる草と、種を結んだ野草やドクダミの根などは分けて抜き、それぞれの役割を果たさせる。その時に気づいたことだが、シソやドクダミには一切シカは手を出していなかった。ハナオクラ、シュクコンソバ、あるいはハト麦は好物で、食べていたが、決して一様にパクついてはいなかった。

 私は、映画で見たバンビを連想した。ドキドキ、ワクワク、それでいて「大丈夫かナ」と不安げに一口ずつ確かめながら食んだのだろう、その食べる姿が瞼に浮んだ。きっと妻は、こうした姿を連想し、その食べ残しも収穫出来るのだろう。

 こうした観察がキッカケで、私は3つ目の楽しさに気付かされた。これはシカとはまったく関係はない。まず藍の交配だ。アイトワで本藍が自生するようになって3年目だが、元の藍ではなくなりつつある。わが家に自生するマルバアイと同様に、野生のタデと交配したことに気づかされた。

 マルバアイには、いつしか斑が入っていた(丸い葉)。ヒョッとしたら、それで当たり前かもしれない。本藍は入っていなかった。今も半分近くは入っていない。いつしか交配し、斑入りになっていた(先がとがった方)。

 これは、自生種のタデの一種(中央の小さい葉)との交配だろう。右は元の藍に近い。左は交配した藍。こうなった以上は、いつしかアイトワ藍として固定してほしい。交配した分が、たまたまかもしれないが丈夫そうで葉が大きい。

 次は、「イノシシのおかげ」と思ったこと。今週は3本目のトウガンが自生したが、2年ほど前にイノシシが大きなトウガンを襲い、食い散らかした周辺で発芽している。先の2本も同様だ。今年は種を採取し、自家製のタネでトウガンを育て続ける初年度にしたい。

 ゴーヤはすでに自家採取の種で育てているが、キュウリも今年からタネを採取し、自家製の種で育て続ける元年にして、アイトワ・キュウリとして固定させたい。自家製にするのは、露地栽培を、温暖化など自然の異様に耐えながら続ける秘訣のように思われるからだ。
 
 
ラベンダー

マルバアイ
 
自生種のタデの一種(中央の小さい葉)との交配だろう