現政権はかつて、これ以上面目の立たない恥はない、という大恥をかいた。朝日新聞の従軍慰安婦問題に関する一部記事に瑕疵を見出し、執拗に追い詰めた。読売新聞などと結託し、従軍慰安婦問題自体を全否定しようとし、挙句の果ては朝日新聞をなきものにしようとした。
だが現実には勝てず、結果は「あれは何だったのか」になった。現政権は事実を認めざるを得なくなり、韓国に詫びを入れざるを得なくなった。何とかこれで、2度と蒸し返さないでほしい、と言わんばかりに10億円を償いとして支払った。
この問題は、生き証人が現れた時に、事実を認め、詫びも入れていたら、どうなっていたか。日本は国際的信用を勝ち得ていただろう。問題は戦争がなせることであり、その戦争を放棄したことを再確認しておれば、尊敬の念にすら結び付けられていただろう。
少なくともその後、国連に「慰安婦問題は未帰結だ」と言わせずにすんだ。アメリカなどに、多くの国々に、勧告議決などさせずに済んだ。オランダにまぎれもない強制売春だと非難させず済んだ。あるいは、日本の研究者につらい思いをしたであろう研究に取り組ませずに済んでいたに違いない。こういう人がいるから、かろうじて国際的には信用を保てている。
それよりも何よりも、わが国の若い世代が事実を知ることによって、反戦思想を固め、国家としての何よりも尊い安全保障である国際信用の構築に勤めていたことだろう。それは自信と愛国心の源泉となり、強制せずとも、自動的に国家を口ずさみ、国旗を掲げる国民となっていたに違いない。国民にとって国を尊べないほど辛いことはない。国民は国を誇りにしたい。それは物的に富む必要などない。武力的に強くなる必要もない。そのようなあって邪魔にならないもを誇るよりも、大切なものがある。悪くないモノよりも、、ぶ喜び程、愛せないほど
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