ボヤケそう

 


 「生きる実感」とか「生きる自信」とは何か。難しい問題だ。だが、考えようによれば、簡単にも思われる。「真の実感」や「真の自信」は、余念に苛まれず正直に日常に取り組めば自ずと身につくとてもプリミティブな感覚ではないか。

 たとえばゴリラ。ゴリラの一族は、ボスが不在だとヒョウなどを恐れ、木の上で寝るが、ボスと一緒だと地べたで寝る、と聴いたことがある。この時のボスの気分は、とりわけ夜が期待通りに明けた時の気分は、生きる実感に浸っているだろうし、生きる自信に満ち溢れているに違いない。もちろん、この実感や自信はボスだけの話ではないはずだ。ボスに従い、ぐっすり眠り、期待通りに夜が明けた時は、ボスに選び、ボスに従った誰しもの気分も、生きる実感に浸っているだろうし、生きる自信に満ち溢れているに違いない。

 たとえばゾウ。アフリカ大陸での乾期は大変だ。水を求めてさまよわざるを得ないことがまま生じる。この時に一族を引き連れ、水源に導くのは賢明なメスと聴いた、リーダーとなったメスゾウが首尾よく水源にたどり着けた時は、そのリーダーのメスゾウだけでなく、それに従ったゾウの群れの誰しもの心境も、生きる実感とか生きる自信に満ち溢れ得ているに違いない。

 たとえば「源ちゃん」もそうだった。ずる賢い兄に、まるで農奴のようにこき使われていた。知的障害者であった源ちゃんは、広い畑で来る日も来る日も一人立ち働いていた。字も読めないし、あの家にラジオがあったようには思えない立場にあった源ちゃんだが、種まきから収穫にいたるまで取り組んでいた。だからだろうか、源ちゃんが種まきをしたり、汗まみれになって遅くまで耕したりしている時にそばを通ると、決まったように「あした、雨や」とか「今晩、雨や」と言った。その通りに雨が降った。こと近未来の降雨については、源ちゃんは実感の世界に生きていたし、自信に満ちていた。

 多くの人間は、錠前や武器弾薬に頼ったり、ガードンマンや医者に頼ったり、あるいは天気予報や社会保障に頼ったりするようになり、その感覚を次第に見失って来たように思われてならない。頼られる方の医者や天気予報官も同様の立場に自らを追い込んでいたのではないだろうか。

 私が子どもの頃は、医者は小さなカバン1つで充分だった。私の舌や目を、あるいは爪や喉を視た。肌に触れ、脈を取り、トントンと胸をたたき、あるいは腹を押さえ、考えていた。だが、今は違う。コンピューターの画面を見ている。患者の顔もまともに見ずに、コンピューターが指し示す数値に従ってしゃべっている。その度合いが増えるに従って、医療過誤問題の発生する頻度が増えたように思われてならない。精度とか確率などと言った面では格段に高まったはずだが、「生きる実感」とか「生きる自信」などと言った生身のカラダからほとばしり出るような感覚は減っていったように思われてならない。

 そりゃ―そうだろう。1億円の機械を入れたら、その償却が気になる。生きる実感とか生きる自信の問題と関わりなく、身につまされる異なる心配事や不安にさいなまれるのだから。その新たな問題に苛まれ、その克服が「生きる実感」とか「生きる自信」の新たな課題かのようになってしまう。何かがどんどんボヤケてゆく。

 源ちゃんは早く死んでよかったと思う。私より10歳年上だったから、生きておれば87だ。アリエさんは87まで天草は牛深でピンピン農作業に携わり、コロリといってしまった。

 若し源ちゃんが生きていて、野良仕事が出来ていたら、きっと「アカン、降らなんダ」と期待した雨に裏切られ、自信なげにぼやくことが増えていたに違いない。

 実は、源ちゃんがまだ生きていたのに、その兄は農地を宅地に替えて売り払った。農地改革でただ同然で手に入れた土地で、楽してひと儲けしようと思ったわけだ。間なしに源ちゃんは死んだが、今に生きていたら どうなっていたか。どう扱われていたのか。とても不安だ。

 だが、この不安を、買い物から帰って来た妻が少しは癒してくれた。「レタスがとても高くなりました」と聴かせてくれたからだ。私の揺らぎかけていた自信が少し戻って来たかのように透かし感じられた。今年は2度もレタスの種を苗床にまき、順調に発芽した苗を、数度にわたり、計300本ものポットに移植し、育てようとしたが見事に1本も育てられなかった。何が何だかサッパリわからず、うろたえていたが、この初体験が新たな自信を授けてのくれたように思われ、生きている実感に浸れた。