致命傷 |
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私の思う致命傷は、植物が全滅の危機に瀕する事態ダ。ある時点をもって、バタバタッと枯れ始めて、押しとどめようがないような事態だ。イメージとしては、かつて騒がれた松枯れ現象や、昨今騒がれているナラ枯れ現象のようなことが、あらかたの植物の身の上に同時に露わになる事態だ。原因は、植物がついて行ける環境変化の範を超えてしまい、今年のわが家の筒育てのゴボウやレタスの苗で生じたようなことが、あらゆる植物に同時多発的に生じかねない事態だ。 現生植物群にとっての適正生存条件が急激に狂い、進化が間に合わない現象、と言い直してよいだろう。いずれ明らかになるだろうが、科学者の進化(合意形成)や、産業界の反省、あるいは消費者の覚悟が間に合わず、手遅れになりそう、と私は心配している。 元はと言えば、地球上に葉緑素(シアノバクテリア)が出現したころから付きまとっていた問題だと思う。当時は大気中に酸素はなかった。ということは、石炭紀のジャングルは、今のジャングルとは違い、酸素濃度が今よりはるかに薄い大気に適応する植物群であったことになる。 その後、30億年ほどかけて、今の大気になった。植物は、今の大気に(だんだん濃くなる酸素濃度に自らをならしながら)適応する進化を重ね、現生植物群になったわけだ。そして昨今の、酸素の割合が2割ほどの大気を前提にした植物群になっている。もちろん、その間に気温も変れば、湿度や雨量も変った。植物群は、それぞれの地域の誤差(?)のごとき環境の違いに適応し、今日に至ったわけだ。 その地域環境の誤差をはるかに超えた変化に現生植物群が直面するようなことになり、バタバタッと倒れ始めるのではないか。 その前に、移動手段を持つ昆虫などが害虫として異常発生し、弱りつつある植物をなめ尽くすように食い荒らしまわる現象も露わになるだろう。マツノセンチュウが松枯れの主因と見られて騒いだころを連想する。 余談だが、これまでの誤差の範囲を見事に乗り越えながら生きているように思われる植物を、ほんの少しだが、私は育てており、折に触れて眺めることしている(このシャボテンは、冬場や、あるいは夏場も極端に水を切ると、葉のようなものを落してしまい、後は鋭いトゲになる)。 なぜか私は、昨年から、こうした類の植物の寄せ植え作り、眺めたくなっていた。 |
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シャボテン |
こうした類の植物の寄せ植え作り |