とても楽しい語らいに出来た。それは、事前に2つの予告編があったおかげだ。まず、その1つは、かねがね私は「気候変動は人災」と考えてきたことだ。しかも、ここに来て「やっと誰の目にもそれが見えるようになった」と思いながら、遅きに失した、と心配し始めていたからだ。それは、その元凶である産業界に利した学者のせいだ。つまり、地球温暖化を「自然現象」の範囲内、とうそぶいてきた御用学者の責任は重い。もちろん、そうした企業活動に目を光らさなかった消費者(償いをせずにモノ造りすれば安くつく、を歓迎した)も同罪、あるいはもっと重い、と思う。
そうした想いを高めていた時に、原発むらの御用学者だけでなく、原発村の旗振り役に媚びる最高裁の面々への恨みが骨髄にまで至りそうなことが多々生じた。
そうした想いが高じていた矢先に、書斎の整理で、ポロリと1枚の写真が出て来た。「こうした武器は、これから流行らなくなる」と直感が働き、ファイルした時の想いがありありと再現したからだ。つまり、性能的に世代交代の時期が来たときに一儲けできない。だから「無人機に取って代わられるだろう」と考えた。無人機なら爆弾と同様に、戦場をでっちあげ、投入出来る。保管、処分、あるいは還元などの要する経費が不要になるだけでなく、売り上げにできる。そう思っていたことが現実化しており、やはり、胸苦しくなっていた。
そこに、このたびの来客だった。福島原発の犠牲者の1人だった。営々と有機農業に携わり、「生きる実感」や「生きる自信」を着々と培っていた人が、一瞬にして崩されてしまった。言いようがない怒りに私のココロは揺れた。
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