配慮

 第一声は、「カメラ、持っていますか」だった。「ナニ!ナニ!」っと出て行くと、妻が指さす先に青いものが見えた。その姿を直にカメラに収めようとすると、案の定モリアオガエルだったが、スルスルッと後ずさりした。

 夕食の知らせで居間に戻ると、「カエルさん、助けてやってくれましたか」と来た。妻はモリアオガエルを「金太並み」に見て、傘の中にはまり込んだ、と思っていたようだ。そうとは考えていない私は、実は気にも留めていなかったのだが、「元気だったヨ」と応えた。そのころはとっくに、寝床に戻ったあとであったのかもしれない。

 私はまったく別のことを考えていた。人間と違って、野生動植物は太古以来の衣食住を護っている。むしろこの点に私は同情に似た感情を抱いている。人間は、衣食住をドンドン変えており、過去に引き戻せないほど機能性も高めてきたが、その度合いと歩調を合わせるようにして地球環境を悪化させてきた。「熱い」と言っては冷房装置を広め、はては地球温暖化を進め、熱中症を気にして、冷房に頼ることを推奨し、「冷房機」がない家に失礼なほどだ。かくしてまた地球温暖化を加速させる。

 野生動物は、変る地球環境に対して体を進化させない限り適応できない。人為と野生動物の進化の具合のスピードのギャップは、とてつもなく大きいはずだ。とりわけ、カエルのように、肌が繊細な素肌の生き物は大変だろう。トノサマガエルはもとより、わが家でもアオガエルまで居なくなった。

 妻は、カフェテラスに姿をよく表すモリアオガエルの雌を、挨拶に来ると喜んだり、ここが好きなんだ、とほほを緩めたりするが、そえ以上は考えていないようだ。だが私は、こう考えている。このモリアオガエルは、手短に、かつ安全に体温を高められる場所としてカフェテラスの一角を見つけ、選んだに違いない、と見る。

 ひょっとしたら餌が少なくなり、充電時間(体温を高める時間)を縮め、餌取りの時間に回さないと、越冬に十分な体力を保てなくなっているのかもしれない。

 妻は、カフェテラスに姿をよく表すモリアオガエルの雌に、暑そうだからと時々ジョウロで水をかけるようだが、カエルにすれば「不要なご配慮」と有難迷惑だろう。