新聞で学ぶ


 読売新聞と産経新聞は、民進党新党首の国籍問題をネガティブな姿勢で取り上げており、寂しい思いがした。毎日と日経は問題にしていないようだ、と受けとめた。朝日はこうした姿勢の違いがさまざまな面でどのように作用するのか要注意、と喚起しているように見た。それはともかく、女性を党首に選べたことを私は評価したい。

 たとえばドイツが首相に、韓国が大統領に、そしてイギリスが首相にといったように女性を国のリーダーに選んだことを、またアメリカが大統領に女性を選び出せるかもるしれないことを、注目している。そして、こうした女性が世界の舵取りに精進し、向かうべき方向を改めることをとても期待している。

 この考え方で言えば、このたびの民進党新党首の国籍問題などは問題にすること自体が偏狭の極みのように思われて、寂しい。イギリスは、王家が外来征服者の末裔だと教科書で教えている、と言う。

 いま大事なことは、第3次世界大戦の真っ最中である、との認識ではないか。目先の経済などに翻弄され、地球をつぶすようなことを平気でする人たちと、何とか地球を守りながら、手に入れ得る豊かさや幸せを探り当てようとする人たちの対峙だ。その認識の下に、各人は自立力を蓄えようとすベきときではないか。

 これとは異質だが、当週は子どものありようについても、とても寂しい思いをさせられた。それは読売新聞木曜日に見つけた詩。「とけい」と言う題の次の「こどもの詩」だ。

 一番いそがしいのは秒針
 二番目にいそがしいのは長い針
 一番楽なのは短い針
 でももっと楽なのは数字だね
 私が時計だったら数字がいいな


 小学校3年生の作品だった。

 この作品に次のような講評がついていた。

 なるほど、数字と言う手がありましたね。
 デジタルの時計だと数字も忙しそうですよ。

 この詩と講評を読みながら、私は小学生時代のある1日を思い出した。風邪を引いたのか、熱が出たのだろう。その日はおでこに氷袋を乗せられ、寝かされていた。ほんのしばらくすると、子どもの騒ぐ声が聞えて来た。起き出して、窓の側により、窓を開けた。子どもの騒ぐ声がより一層大きく聞こた。近所のいつもの顔ぶれがカンケリをしていた。敷居に両肘を当て、ジーッとその光景を、陽が落ちるまで立って眺めた。

 その時から、私は少々の熱が出ても、母に訴え出ないことにした。この癖は今にも続いており、熱が出たと言って訴え出て、寝込んだことはない。

 もちろんこれは自慢にならない。少々のことでは寝込まないが、それで幾度も失敗しているのだから。