論より証拠派

 

 「論より証拠」の本当の意味は知らないが、私はこれに「派」をつけて、私流の意味で用いることがある。キチンと説明を重ねて合意を得て、その上で実績をつくるやり方ではなく、勢いに乗ってまず実績を作ってしまい、むしろ相手から合意を求めさせ、有利な立場に追い込むやり方を採用する人たち、を指す。

 実例を1つ挙げれば、真面目な人たちにとっては微笑ましき「出来チャッタ婚」がそれであり、ズル賢い人は、このやり方を結婚詐欺の手段にも活かす。

 この日の西木空人選の第1首は「丁寧な説明未だ聞いていない」であり、その寸評は「安保法成立1年」だった。だからすぐに「あれだ」とピンときた。

 昨年9月19日のことだ。首相は安全関連法(戦争法)を強引に成立させた。その際に「これから粘り強く説明を行ってゆきたい」と首相は国民に約束している。だからこの一首は、その約束の指摘であり、国民の一人として「真面目にその約束を果たせ」との督促ではないか。あるいは「またぞろウソをつきよった」との皮肉を込めた嘆きではないか。

 ところが、私は首相を結婚詐欺タイプと見ていたから、悪しき意味の「論より証拠派」と見抜き、もとより督促する気もなかったし、皮肉る気持ちなどさらさらない。初めから首相が粘り強く説明などするはずがない、と考えてきたわけだ。

 当時、圧倒的多数の憲法学者や権威ある法律家の多くが憲法違反だ、と断じた法律であり、自民党歴代政権の主張とも真っ逆さまであった。しかも、内閣法制局内でキチンと合意を得たわけでななく、長官1人の判断同然であり、その長官は首相の不純な抱き込みに応じた人、が下馬評だった。またぞろ首相は、結婚詐欺師まがいの才覚躍如となって論より証拠のごときゴマカシをまかり通らせるに違いない、と睨んでいたからだ。

 きっと首相は、この法案を無理やりであれ押し通しさえすれば、それが実となって国民を浮足立たせるような事態を誘発させ、その事態が後付けではあるが、この法案を正当化させるに違いないと読んでいる、と私は睨んできた。だから、その後世界が騒々しくなったり、チョウチンをつけたりする度に、「案の定」と思い続けてきた。

 原爆やミサイル開発を過激化して虚勢を張る暴君だけでなく、軍拡やトンデモナイ遠方に滑走路まで建設する大国が現れた。そりゃ―そうだろう。-奇襲攻撃や屁理屈まがいで誕生した国をわがものにした実績がある国が、海外派兵も可能な武器弾薬や兵員まで持てば、被害を体験した国々は不安になり、慌てふためいて当然だろう。

 その当然生じかねない事態を首相は感覚的に承知しており、誘発を待ちかまえた。その誘発にのった原爆やミサイル開発などでにわが国民の心が浮ついたところで、チョウチンでもつければ(過激な軍事演習でもして見せれば)火に油を注ぐがごとき対抗手段を誘発させるに違いない、とも呼んでいるに違いない、と見て来た。

 そう言えば、この戦争法のゴタゴタに先んじて、福総裁が亜発した言葉が思い出される。そう言えば、この戦争法のゴタゴタに先んじて改憲問題が騒がれたとき(2013年)の、副総裁の助言が思い出された。「憲法はある日気付いたら、ワイマール憲法が変って、ナチス憲法に変っていたんですよ。誰も気が付かないで変った。あの手口に学んだらどうかね」