同じ思いの人


 先週、私は首相の振舞と対比して「できちゃった婚」に少し触れた。

 「できちゃった婚」は当人同士の合意が基本の成り行きであり、微笑ましく、その後の社会的責任さえうまく果たすことができれば、むしろ結婚本来の姿、とさえ私は思う。

 つまり、結婚までお上に婚姻届けをして了承を得なければ、といった筋合いの問題ではなかろう、と思う。それが証拠に、たとえば内縁の妻の地位が次第に高まるなど、実態と当人どうしの意向が尊重されるようになったのだろう。もっとも、いとしい娘を持つ父親には、未だに叱られそうな意見とは思うが、これも民主主義の浸透だろう。

 それはともかく、問題は行政府の長が「できちゃった婚」のようなことをしたら、どうなるのか、ということだ。つまり、後先を逆にしたらどうなるのか。先に抜き足ならぬ状態に持ち込み、それが生じさせた渦に国民を巻き込み始めたらどうなるのか。それは「民主」主義の破壊であり、ファシズムの前兆と言ってよいだろう。

 それを、わが首相は得手としており、困ったものダ、と先週触れた。

 戦争法案を無理やりであれ押し通しさえすれば、それ自体が物騒な騒動を誘発し、その物騒な事態が国民を浮足立たせ、簡単に世論など掌握できると首相は承知していた、と私は読んだ。だから、説明など元より不要になるに違いないと見たうえで「これから丁寧に説明する」と約束できたわけだし、頬かむりしても世論は騒がなかったのだろう。

 これは、「できちゃった婚」という親族などが相手の微笑ましき事情とは話が異なり、つまり「できちゃった婚」のやり口というよりも、むしろ首相は「マッチポンプ」を巧妙にやらかそうとしている、と言った方がよいだろう。

 この一コマ漫画に触れた折に、この作者も同じようなことを考えていたのではないか、と憶測し、嬉しくなった。ちょっと違う所は、この人は上品であり、「そう読んだゾ」とばかりに有頂天になるのではなく、「そう読めて当然ではないか」と穏やかに広く国民に賛意を求めたものと私は見てとり、感心させられ、シャッポを脱いだ。

 余談だが、首相は(日銀、NHK、高等裁判所、あるいは内閣法制局などの人事に留まらず)ついに、このたび宮内庁人事にまであからさまな介入した。空恐ろしい。


 
一コマ漫画