2025年といえば、日本が再生の緒に就く年、と私は見ている。裏返していえば、これまで工業文明に支えられ、資本主義社会を形成してきたわが国だが、その破綻が誰の目にも見えるころ、と言い直したい。
その目で見れば、最早、万博の時代ではない。万博や百貨店は工業文明のオトシゴだ。鬼子といったほうがよい。EXPO70は、工業化に遅れをとった日本が、その波に乗るために有効であった一面がなきにしもあらずだ。だが、それが日本の大地をここまで蝕ませてしまった、といえなくもない。その典型は原発が生み出す副産物だ。その原子の光はEXPO70の最中に燈っており、私たちは無邪気に喜んだ。2匹目のドジョウはいただけない。
そう思っていた矢先に、大阪府知事の新たな一面、「土人」や「シナ人」発言を知り、先が思いやられる気分に陥れられた。
もっと大事なことがある。目先を明るくするための散財ではなく、未来を明るくするための種をまいておくべき時だ。まくべき種はいくらでもある。急いでまかないと、日本はじり貧に陥ってしまう。
工業文明や資本主義社会を蔓延させるキッカケを作ったのはイギリスだが、この同じく島国のイギリスに、また先を越されそうな気がしてならない。
|