最初の『寺院消滅』を「秀チャン」が持参。これはヒット作となり、今も部数を伸ばしている。先に、酒井さんに贈ってもらった一書は、稲葉さんが一晩で読破。真の仏教のありようと、日本仏教のありようも知り得る好著、との(これまでの日本の著作で、この点に触れた事例を「私は知りません」との折り紙がついた)評価。
次作も、さらなる読者をひきつけることになりそうだ。日本の葬送の在り方は根本的に見直されるに違いない、と私は見ている。お釈迦さまは葬送には触れていなかったはずだ。また、明治以降の日本の葬送は、古の在り方とはことなったはずだ。この点は、秀チャンの次著『夢想社会』で知り得るのではないか。
金太の命がつきかけていたこともあって、「生きとし生けるものの死」と「葬送」や「墓」の在り方について、少し深く考えさせられるところとなった。
18年で死んだケンは、まったく後ろ足が立たなくなり、意識はあったが、目を窪ませた。16年で死んだハッピー(3世)は、全盲になり、意識はしっかりしていたが、「虫の知らせ」を私たちに目の当たりにさせながら、うつろな目であの世に旅だった。17年目に入っている金太は、焦点を合わせられない目でありながら、険しい。私たちが徳島への旅に出る数日前から、自力では立てなくなっていた。しかもその後、4本の足を、駆けるがごとくに動かし、足掻いているかのように見える。
旅から帰り、翌朝早く目覚めた私は、金太の鳴き声に応え、寒いのではないかと、毛布に2度来るんだが、すぐに自らはぎ取ってしまった。幻想に苛まれているのだろうか。起き出してきた妻は「何かに追われている、とでも思っているのかしら」と心配する。
金太の意識が怪しげになってから、「可愛くなった」と妻があんなに可愛げにしていたのに、犬相が急に険しくなり、足掻くようなしぐさをし始めたわけだ。
尊厳死の必要性に想いを馳せざるをえない心境にされた。「無痛で、瞬時に命を断てるものなら、救いたい」と、思ったほどだ。同時に、両親の最後を振り返り、わが幸せを噛みしめ直した。父の死は、拙著『このままでいいんですか』で、リアルタイムで書き残せた。母の死は、ちょうど10年後の『次の生き方』で、リアルタイムに記録できた。
共に自分の布団で、家族に見守られ、死んだ。父は、カラダは植物状態に近かったが、首を振ることで来て、医者も含めて12余の目の前で、明快に意思表示をした。母は、その瞬間まで妻に手を握られていることを意識していたようだ。私は駆けつけて、母が外していた総入れ歯をはめることができた。
「ここで、私達に(金太のために)何か出来ることはないか」と、幸いなことに、稲葉さんを交えて語らうことができた。牧師の子として生まれ、元は判事であり、今は尼僧であって弁護士でもあるひとと、幾つかの視点から、語り合えた。
そうした状況下で、降って湧いたかのごとくに2つの好著に恵まれていたわけだ。一書は、昔なじみからの献本で知り、もう一書は、孫のごとき著者からの手渡しで知り得た。これから、色々なことが起こりそうな気がしてならない。
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