「かつて、ここは隠れ里(常寂光寺と落柿舎を含め、疎開者など人が棲んでいたのは16軒)で、大部分は水田の、田園地帯でした」「今や水田はなくなり、100軒を超えました」と、説明した。同時に、その弊害にも触れた。
そこで、私は逆に「人目に付きやすくなったここから逃げ出し、3000坪計画(当週記でも触れたことがある)を構想したこともあった」と吐露し、その時も思い直して、「この賑わいを啓蒙の地として活かそう」と覚悟をしたことを語った。ここで、話題を変えた。
質疑応答を重ねるうちに、次第に、私が夢見る次代を語りたくなっていたからだ。貧富格差の拡大や、認知症に悩まされる人の増大がくやしくてならないからだ。
要は、意識的に(非日常を創出し)ハメて喜ぶヒトと、不用心に(その非日常に)ハメられて喜ぶヒトが織りなす社会(GDPの高さに豊かさを見て喜ぶような社会)そのものが問題だ。消費に喜びを見出し、創造を伴う生産活動がつきものの日常を疎かにする社会が不安定に思われてならない、と伝えたくなっていたわけだ。
丁度その時に、乙佳さんが現れた。乙佳さんの目にはダブルブックのように見えたかもしれない。それは、2人の院生には午前中だけ提供する話になっていた時点で、午後は空いていると乙佳さんに伝えたままになっていたからだ。だがその後、2泊3日の出張前に、質問時間を多くしたい場合は弁当も持参でとメールし、その返事をもらわぬままにこの日の朝を迎えたために生じたバッティングだった。
それはともかく、ありがたいバッティングだったわけだ。
なんと翌日。縄張りの後、近々に購入したと聞いていた古民家の航空写真を見せてもらえた。大部分は山林同然だが2000坪近くの物件だし、その気になればいくらでも買い増せそうな環境だ。隣に1000坪近くの荒れ地がある。一帯は、今や住人のある民家は4軒という過疎村だ。話に聴いていた以上にまぶしく見える物件だった。まさに『エコトピアだよ
り』で推奨した生き方の顕在化だ。
だから「ヨカッタ」と思った。前日、2人の院生に語った具体例の紹介は、控えめであったと思われたからだ。もちろん、乙佳さんと親方のことだ。創造的日常を大切にして暮らす「阿部ファミリーの今」のごとき住環境を早晩創出するに違いない。
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