感謝

 やり過ぎは「×「バツ」」。なまけは「×の3乗」。調子に乗るのは「×」。身をかばい過ぎるのは「×の2乗」、と思う。肝心は身の程を知る事、そしてその心得えのもとで、少々の無理を重ねることではないか。

 とはいえ、その見極めが難しい。とりわけ、怠け心を誘いかねないわがココロのありようを見抜くのが難しい。どうしても、言い訳がしたくなる。

 この度は、かなり具体的に、その「塩梅」を2人の積極的な(様子を伺いに行き、思わずシャッターを切った)取り組み方を通して、気づかせてもらえた。

 当週は、火曜日に、人ではなく、天の助けを得て、よき気づきもあった。

 カラダが重くてしかたがなく、チョッと落ち込んで始まった日だ。それを加齢のせいにして嘆いたが、朝の天気予報で「夜に霜が降る可能性あり」と知ったのがよかった。カラダにムチを打つことが生じたが、それがヨカッタ。ムチ打つ必要がなかったら、屋内に引き揚げていたと思う。

 ヤーコンを「せっかくここまで育てたのに」と、努力を無にするのが惜しくて、まずその葉を刈り取ることにした。霜に当てたら台無しになる。とはいえ、今しばらくは(霜がそれほど降らず、健在な葉が残っている間は)イモの成長が望める。そこで、茶に向くきれいな葉だけを選び、刈り取ることにした。

 次いで、ズイキにも思いを馳せた。過日、剣山の傾斜地農法を妻に見せたが、その折に、妻はアオズイキの活かし方(アクの抜き方)を学んでいたからだ。

 そこで、明日に回せば葉が霜にやられてこれも台無しになりかねないと思い、ズイキはすべて刈り取った。そして、イモもすべて掘り出した。それが「ヨカッタ」と思う。

 農業は、とりわけ露地栽培農業は「作業を明日に延ばせない事情」が多々生じやすい、それが農業の良さだと思う。

 その夜はぐっすり休むことができた。おかげで、爽快な朝を迎えることができ、翌日は少し調子に乗り過ぎた、それは良くなかった。



 


2人の積極的な取り組み方