あの講義の続きを

 

 同志社大学大学院で「経営哲学」という講義を受け持たせてもらった時のことだ。乙佳さんの受講希望も聴いて、一人の学生として学校に推薦したが、大学の計らいで、私の講義に助手として付き添ってもらえることになった。

 もちろん、機器の準備などで私は大いに助けられたが、それ以上に乙佳さんの受講態度にとても心打たれるものがあった。反応が良かった訳だ。

 私のことだから、企業はいかにあるべきかだけではなく、むしろ「だから、かくあるべし」という訴え方をした。つまり、現状を前提に、現状に上手く即そうとするのではなく、あるべき未来を見据え、その未来に備えよう、という考え方だ。テキストの1つに、企業の社会的責任を真正面から日本で最初に取り上げた拙著『「想い」を売る会社』を用いたが、それだけに留めなかったわけだ。

 もっと正確に言えば、必然の未来を想定し、その一翼を、あるいは一角を、自ら担うつもりになって、創出してはどうか、との呼びかけた。それが乙佳さんの心を打ったようだ。もちろん、私が想定する未来像も開陳した。もう一つのテキストとして『次の生き方』を用いたが、そのありようが乙佳さんを安心させた、と言ってよいだろう。

 そもそも乙佳さんとの出会いがドラマチックだった。拙著『人と地球に優しい企業』がキッカケだった。そこで展開される時空を彼女は必然のごとくに受け止めたのだろう。人と地球に優しくなろうと思えば自分たちには厳しくならざるを得ない。その覚悟も彼女には必然の課題と写っていたに違いない。

 もちろん私は、たしかな幸せを手に入れ、こころ豊かになりたい、と願っている。しかし、その願いを、自分たちには優しいが、人と地球に厳しい在り方では、マズイ。それでは結局、皆して緩慢なる自殺行為に陥れあっているに過ぎない、との心配だ。きっと彼女も、同じような心配をしていたのだろう。