もちろん、いつものことだが、エンジンソーは、喫茶店の来店客が、つまり一帯にたたずんでいた観光客が、潮が引くように減ったり、減り始めたりした時に使い始めるようにしている。特にこの時期は、観光客を意識してきた。
その意識が、この度、初めて「そうであったのか」と私に気付かせたことがある。
世の中には様々な芸術や芸事があるが、これまでどうしても私には近づけなかった芸術なり芸事があった。それは作曲だ。それがこのたび、とても身近に感じからた。
この日も、エンジンがバリバリッとかかり、手にその振動がビビッと伝わった時のことだ。ココロが高鳴り、なぜか進軍ラッパ(残念ながら)がココロの中で鳴り響いたかのような錯覚がした。そして気分がシャキッとし、人差し指に力を入れた。
つまり怪我をせずに、目的をキチンとはたすために、心を引き締めて、丸太にエンジンソーの刃を当て、起動装置を引いた。調子よく、次々と丸太を切った。その途中で、「あの頃に」「こうした意識が芽生えていたら」と、思った。
中学生になったかならずの頃のことだ。渡月橋のふもとで、しばしたたずんだ一時があった。その時のことだ。肺浸潤が見つかり、落ち込視、悲嘆にくれた。
「あの時に」と、思った。こうした機会を得ていたら、例えがゴロゴロと雷が落ちるとか、自分を奮い立たせたくて心の中でジャジャジャジャーンとでも叫んでいたら、あるいはやけくそになって、両手に坊切れでも拾い上げ、大地にたたきつけてでもいたら、どうなっていたか。私にも作曲という行為が、身近になっていたかも知れない。残念ながら、そうはゆかなかった。私は音響ではなく、色彩に向かっている。奇妙な色遣いをした絵を描いた記憶がある。その絵を、母は長い間、大事にしていた。
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