改めて興味津々

 

 「方丈のごとき狭い」建物をとの意味で、「わが(家の)方丈」と呼ぶことにした。だが、まず、その広さを誤解していた。方丈は一間四方と思っていたが、約3m四方と知り、無知を恥じた。それなら「わが(矩形の)方丈」と広さは同じ。

 もう1つ誤解があった。「方丈」は移動・組み立て式だが、「わが方丈」は(建築基準法の問題で)固定式。もちろん、大型トレイラーなら簡単に移動は可能だが、根本が異なる。初めから移動を前提にした構想ではなく、意図が違う。

 移動・組み立て式と知り、鴨長明の「方丈」よりがはるか後年に造られ秀吉の「黄金の茶席」をすぐに連想した。しかし、この2つの移動・組みたて式が生み出された意図は、大いに異なるように思われ、興味津々になった。秀吉が「黄金の茶席」に込めた意図を鴨長明が知れば「いかに思ったか」。鴨長明と千利休、鴨長明と西行など、興味津々。

 移動・組み立て式の住居といえば、パオやユルタなどを(カザフスタンやモンゴルで)も思い出した。モンゴルでは泊まっても見た。「生きる」という営みと家屋はいかにあるべきか、これも興味津々。

 移動式住居といえば、アメリカの西海岸で、豪勢なヨット居住者が集う地域を訪れ、その1つに招かれてもいる。そこで知り得た意図は鴨長明のそれとは対極にあったように思われた。

 すでに始まりつつある次の時代は、あるいは切り拓かなくてはならない次代は、いかなる意図を容認するのか、興味津々。もちろん私には、鴨長明の意図であろうと思えるのだけれど、肝心のその意図を理解できていなかったことを思い知らされ、無知を恥じた。