かつて、妻は「ここのような(冬が早く来て、厳しい)ところで、イチジクはうまく熟すのかしら」と、首をひねったことがある。その時から、生食だけではなく、妻は加工食材として活かすようになった。この冬は、白ワイン煮になった。
もうすぐ正月だが、この前の正月に妻は、仁美さんからウラナリトマトの美味しい活かし方を学んだ。
これで、ナスはからし漬け、キュウリはピクルスに、などだけでなく、ウラナリトマトも無駄にせず、美味しい保存食として有終の美を飾らせる1つにした。
もちろんこれまでも、わが家では有機物はすべて堆肥化するなど、一切無駄にはしてこなかった。だが、阿部ファミリーの「室」で見た瓶詰保存食に刺激され、妻はこうした食材を妻はこうした食材を一層大事にするようになり、より一層忙しくなった。
今年は、2年続きでお化けのようなツルムラサキが育った。お化けは、今頃になって(霜が降ってダメになる時期に)やっと「花芽」を付け始めた。このツルの大きな葉はことごとく霜に傷められ、先週の末に妻は「もう片づけて(堆肥の山に積んで)くださっていいですよ」と、やっと許可を出した。そこで、私なりの活かし方を考えた。
いわばミレーの(寡婦に許されていた)「落穂ひろい」の絵ではないが、収穫に1時間余も投じ、私なりの収穫に没頭した。最盛期にこの程度の(量の葉)を収穫するなら10秒とかからない。だが、1時間かけてでも初体験の美味を追求したくなったわけだ。
軽い霜でダメになった大きな葉の陰に、小さな「脇芽」が見えたからだ。その半数ほどの「脇芽」は「花芽」も添えていた。もちろん、これらのすべては次の霜で萎れ、ダメになってしまう。そこで、これら小さな「脇芽」と「花芽」を1つ1つ探しながら摘み取った。きっと、葉の味わいを超えた美味にあり着けそうダ、と考えた。
この私の収穫物を妻は、「花芽」と「きれいな脇芽」を選び出し、二分した。その残りは私たち夫婦の惣菜に用いた。選び出した分は、来店客に出すサラダに活かす、と言う。
私にすれば、妻に食べさせたくて取ったのに、妻は自分たちがムシャクシャと食べてしまうのはもったいない、との考えたわけだ。ここらあたりが妻と私は意見を異にする。店頭で出す分は野菜売り場で買い求めて用い、私が育てた分は、自分たちと贈り物に活かしたい、と願ってきた。だが妻は、どうやら私が手塩にかけて育てた野菜を、それも、飛び切り時間をかけて収穫に至った代物こそを、来店客に味わってもらいたいようだ。
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