「創る喜び」と「つぶす喜び」の峻別 |
「バブル」という言葉がまだ流布していなかった時に、私は転進した。それは工業時代や資本主義社会への疑問だった。このままでは、「私は狡いケモノにされながら、それを繁栄と誤解し、やがては愚かなケモノにされかねない」と心配になったからだ。 平たく言えば、本能に基づく「欲望」は、生きる要の1つであって尊いが、人間が推し進め「欲望の解放」は危険だ。人間が持ち合わせた優れた脳の活かし方を間違っている。それが諸悪の根源かのごとく、目に余る問題を多発させている。 誰の目にも、空気や水を汚し、森林を破壊し、野生生物を絶滅のふちにおいやるなど弱いものから順に、存在の危機に追いやっている。早晩、国家間、民族間、あるいは同じ国民間でも、弱いものから順に、同じ様な運命に、もっと陰湿で手の込んだやり方で絶滅のふちにおいやりかねない。そしてきっと、陰湿な指導者を生み出しかねない。 そのどちらにも関わりたくない。どちらにも関わらずに、生をまっとうできないものか。その生き方が、次代が微笑むもモデルのごとき生き方であって欲しい。そう願った。 「そうであったか」との気づきもあった。これまでの人間は生き方を間違えていた。それが証拠に、「後楽園」や「偕楽園」はあるが「先楽園」を生み出していない。つまり、先に楽しみ喜ぶことを遠慮したような生き方を前提にしていたのではないか。それではマズイ。人間の生き方そのものが間違っている。 だから、工業時代や資本主義社会を生みだしたのだろう。先進国と呼ばれる人たちは、真面目に不真面目なことをしてきたわけだ。時間がたつにしたがって、矛盾を露呈する生き方を選んでしまっていたわけだ。そのどちらにも関わらずに生をまっとうしたい。これ転進の源泉、興味津々たる疑問と、その回答だった。 そこで、おぼろげながらに分かってきたことが、「創る喜び」と「つぶす喜び」の峻別、「文化」と「文明」の峻別の必要性だった。私流に考える「創る喜び」の時空を生み出し、その普遍化を可能にする文化にまで育てたいものだ。それを「仕上げよう」。それが転進の動機だった。 当時、わが国のアパレル産業は岐路にあった。「創る喜び」に目を転ずれば、世界をリードできる。「つぶす喜び」に固執すれば、壊滅のごときになる。 そこで次代の創出を呼びかける『ビブギオールカらー ポスト消費社会の旗手たち』をつづった。業界紙には「つくる喜びとつぶす喜び」と題するエッセーを贈った。また、エッセ−集では「先楽園」を冒頭に選んだ。 倉科智子さんも、わが国のアパレル業界に携わる過程で、その隘路(つぶす喜び固執に留まりがちな業界)に気づき、「創る喜び」を目指したくなったのだろう。にもかかわらず、ついに「創る喜び」の共感者を得られず、転進をよぎなくされたに違いない。 ちなみに、倉科智子さんは手土産に「干し芋」と「カブラ」を持参だった。「干し芋」は、仲良くしてもらえるようになった年長者の女性に、このたびの訪問を告げると、「それならこれを持って行け」といってもらったとか。「カブラ」は「俺も一緒に行きたいよ」という顔をしたという男性が届けたものだが、バスで来たので「その一部」とか。これも「生で食べてください」と勧められた。もちろん生食したが、想像以上に甘かった。「なぜか?」。 |
生食した |
「つくる喜び」と「つぶす喜び」
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「先楽園」。『庭宇宙パート1』
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