過日、妻は2人の若い女性にお茶を入れさせようとして、仰天した。2人が共に「お茶って家で造れるんですか」と、問い返したからだ。
このエピソードを聞かされた時に、私も仰天した。なぜなら、「そりゃ―そうだよ、きょう日、お茶を造れる家なんて、めったにないよ」と応えたが、それは私の勘違いだと知ったからだ。若い2人の女性は、お茶を「家で入れられるのですか」との質問のつもりで、「造れるんですか」と問いかけていたのだった。
私は、かつての「カマボコ事件」を思い出した。ずいぶん昔の話だが、「カマボコは海産物」の1つ、と学んだ小学生が、カマボコが海で泳いでいる絵を描いた、と言う嘘のような話が流布したことがあった。
その伝で言えば、2人の若い女性は、妻に「お茶を入れてください」と頼まれた時に、その目はおのずとペットボトル入りのお茶を探したことになる。だが、見当たらない。かといって「買いに走れ」との指示ではない。思いあぐねた末に、「お茶って家で造れるんですか」となったのだろう。
きっとこの2人の家庭では、ペットボトル入りのお茶が常備されており、茶葉や急須で茶を入れる、と言う習慣を失くしてしまっていたのだろう。それが、今後どのような問題に波及してゆくのか、それはここでは割愛したい。
問題は、このたびの「リーフ茶の普及活動」キャンペーンが、掘孝弘さんの提案で「京都市ごみ減量推進会議」が実施していたことだ。「ペットボトルを減らそうキャンペーン」の一環であったということだ。
私は穂李さんと1994年の西ドイツの環境問題関連視察ツアーで出会った。当時、西ドイツはペットボトルを問題視し、画期的な取り組みを始めていた。ペットボトルの規格を統一し、50回ほど洗浄して再使用する方式だった。イギリスはペットボトルを廃止し、ガラス瓶に代えていたが、西ドイツは重いガラス瓶の輸送コストや破損問題などを勘案し、ペットボトルの活かし方を改めていた。
残念ながらわが国の政治体質は、屁理屈をこねて悪しき多様性、つまり雑多なペットボトルを普及させ、経済的無駄の助長でGDPを押し上げさせてきたのだろう。それが、ついには「リーフ茶」という新語まで必要とさせる社会にしたのだろう。
この政治体質はついに、GDPの助長策としてギャンブルを合法化刺せたわけだ。それに先行して、武器輸出や海外派兵などもを可能にしていた。それらがどういうところに国を誘うのか、「困ったもんだ」。
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