ありがたい気付き
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先週の2泊3日の出張で、ジックリ新聞に目を通せたのもヨカッタ。ロシア大統領の来日を、5大紙のいずれもが「ザ・コラム」で取り上げていた。首相は、ステートメントで「ウラジミールと」と呼びかけるなど、演出したが、5大紙は見逃さなかった。読売は、首相が郷里にプーチン大統領を仰々しく迎えたが、その結果をジョークで評価した。「ボーイ君、どうして皿が濡れているのかね」。ボーイ、「お客様、それはスープでございます」。5紙の評価はそれぞれ味があったが、いずれも辛口だった。 4回連続の特集番組「東京裁判」は、目からウロコだった。これまでは「戦勝国の偏った裁判」と(そう現政権も主張しており)思わせられていたが、恥じ入った。日本が戦勝国になっていたら、絶対に似た裁判はできなかった、と断言できそうだ。 この実体については後で触れるが、このたびの女子学生だけの5人の来訪に付き合っている折に、なぜか上の2件を思い出し、頭を抱え込まされている。 なぜなら、これまでは「人類の恥部、あるいは宿命」などと考えていたことが、そうではないかもしれない、と思わせられたからだ。もちろん千差万別、種々雑多、あるいは偏見などせいかもしれないが、「人類の」ではなく「男性の恥部、あるいは宿命」と改めた方が適切、と思わせられたからだ。もちろん、大問題は、女性の中の例外は、男性よりはるかに過激、他力本願的に過激、との意見を耳にすることだ。 それはともかく、このたびの5人の女子学生に「今日は、5つの作業に当たってもらう」と言って迎え、まずその1つ焚き火を「全員でして、体を温めよう」と切り出した。 他の4つは、「スギの枯れ葉拾い」「クヌギの落ち葉掻き」「大鍋の水捨て」の3つに加え、「1枚の石畳敷き」だった。先の3つは、いずれもが裏庭で行う作業であったので、焚火で体を温めた後、全員で裏庭に移動した。 5人はこの3つに手分けして当たり、私は裏庭にある「ワラビ畑」の草刈り(これは、男子学生が混じっていたら引き受けてもらおうと考えていた)を受け持った。ワラビ畑は、急な坂地だし、1.5mほどの断崖もあり、男が受け持った方が、と考えた。 この3つがほぼ終わった時点で、1つの作業を追加した。前日私は、パーキング場のモミジの落ち葉を掻き集めておいたが、それをマルチング材として果樹園に運び込む作業だった。この「マルチング材の果樹園への運び込み」と「1枚の石畳敷き」に手分けして当たってもらい、私は「ワラビ畑」の草刈りを継続した。 「大鍋の水捨て」は、風呂の窓の外側に大鍋を置いてあり、渇水時に風呂の残り湯を移し、散水してきたが、この2年間はその用がなく、雨水が溜まっていた。この度、ある事情が生じて、この鍋を移動させる必要があり、水を捨て去った。 「クヌギの落ち葉掻き」は、クヌギの落ち葉を掻き集めて袋に詰め、腐葉土小屋まで運び、2つある部屋の一方に運び込み、積み足してもらう作業だった。もう1つの部屋には昨年の落ち葉を積み上げており、現在は腐葉土を取り出しつつある。 私は、「現在落ち葉を積み上げつつある部屋」に積み上げてほしいと頼んだつもりだが、結果は勘違いが生じていた。後刻、それに気づいた私は、興味津々。それは、特集番組「東京裁判」での感動を思い出したおかげだろう。 「スギの枯れ葉拾い」は、2つの袋が一杯になるまでスギの枯れ葉を拾い集め、詰めてもらう作業だった。「終わりました」との報告を受けた時の結果は、5分目も入っていない段階だったが、私は「それでよし」と回答した。この結果にも、私は注目し、そこに女性らしさを見出して、ほのぼのした気分にされたからだ。 「1枚の石畳敷き」は、狭い小道に1枚の石畳を、ある目的のために敷く作業だ。この小道は幅の狭い緩い坂道だが、雨樋が埋めてある。その雨樋が、土が雨で流されてむき出しになり始めていた。そこで、1枚の敷石をダムに見立て、段を付けて敷くことによって流土を防ぐことにした。写真は、私が後刻、補修し直した姿だ。 この件については、学生を見送った時に「あれでヨカッタのかなあ」と心配していた。私は「後で見ておく。ダメなら直しておくから、後日見てほしい」と応えた。そして後刻、学生の作業を点検したが、この写真とは違っていた。そこで、指示したつもりの通りに修正したわけだ。だが、修正を終えた後で、大いに反省している。 なぜなら、ここは一輪車の通り道でもあるために、重い薪などを風呂焚き場に運び込もうとすると、私のやり方なら、写真のように小さな石を余分にかまさないといけない。女子学生は、敷石を小道の傾斜に沿わせたように斜めに張っており、余分の石を用いずに、砂防ダムの役目も果たさせていた。 かつて私は、「一輪車階段」と呼ぶことになった(多くの敷石を斜めに張った)小道をつくっていながら、1段とはいえ階段を、斜めに張る発想をしていなかったからだ。 先に、絶対という言葉を用いたが、私はこれまでこうした用い方をしたことがないはずだ。なぜなら、あらゆることが相対化できそう、と思っているからだ。だから、これまでは、生きとし生けるものは、生まれた以上は絶対に死ぬ、と言う場合にしか使えないように思ってきた。ところが、上の使い方はできそうだ、と思った。 それは、このたびのロシア大統領の来日時に、5大紙の「ザ・コラム」のいずれもがこぞって辛口の評価を下していたことを思い出したから、かもしれない。
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1つ焚き火を「全員でして、体を温めよう」と切り出した |
マルチング材として果樹園に運び込む作業だった |
2つの袋が一杯になるまでスギの枯れ葉を拾い集め |
1枚の敷石をダムに見立て、段を付けて敷くことによって流土を防ぐ |
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5人の学生とは焼き芋で締めくくった |
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