「反対側」とは何か

 

 不遜な言い方だが、世界の知とされる人が近年、「何を今さら」という発言をし始めた。たとえば、クリントン時代の米財務長官ローレンス・サマーズ。「人類史上、経験したことがない事態が今起きている」。ミッテラン(?)大統領のアドバイザ−だった仏経済学者ジャック・アタリ。「現代はまさに、資本主義の歴史的転換期なのだ」と語る。

 これは多くの人の意見だろう。「今さら何を」と思う人が多いはzhだ。

 だから、ボブ・ヂィランにノーベル賞を、になったのだろう。また、デイット・ボウイの死にドイツ外務省が「デイット・ボウイよ、さようなら。あなたはわたしたチのヒーローです。壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」とツイートさせた。ボブ・ヂィランもデイット・ボウイも私の好みではないけれど、スゴイ、と思う。時代の心を、風を掴んでいたと思う。

 また、わが総理の「放射能はコントロールにしている」に始まり、クリントン候補の脚を引っ張ったと言われるロシアのサイバー攻撃、イギリスのEU離脱を促したと言われる離脱賛成派のデマ、あるいはトランプのさまざまな喝破。これらが世界は「ポストトゥルース」を流行語かのごときにしたのだろう。これもスゴイ、と思う。時代の心を、風を掴んでいると思う。

 これまでの社会を支配していた前提が、いまや間違いに(通用しなく)なった、のだと思う。

 だから、たとえて言えば、不作に疲弊する農地に立って、農家に意見を聞いたのではイケナイということだ。それでは手遅れ、と言いたい。余計に問題を複雑にしてしまう。

 ズーッと昔に、そこに棲んでいたミミズやケラ、もし耳目がもっと良い人であれば、微生物に聞いたらよい。とっくの昔に正解を知り得ていたはず、と感じさせられている。

 幸か不幸か、私は5歳で(混沌とした貧しい時代に疎開し)世界の一変を感じとる機会を得た。それがヨカッタ。

 営々と戦中戦後は村の掟として守られていたことが、戦後の豊かさがことごとく破壊した。たとえば、ゼンマイやタラの芽の採り方が、ハイカーが都会からくりだすようになってアッという間に破壊された。憧れていた軍人が、青菜に塩になり、深窓の令嬢も米兵のオンリーになった。

 何かがオカシイ、と子ども心は受けとめた。だから、不作に疲弊する農地に立って、農家に聞いた意見では「手遅れ」と、子ども心に受けとめていた。その衝撃は、後年になって整理できた。

 農薬や化学肥料を多用し、機械化を推し進めた農家は「願望の未来」を夢見ていたに過ぎない。だから。下品なたとえだが、母なる大地をレイプし、成果を誇りあって来たような意識に、「必然の未来」を問いかけても、答えは返ってこない。それを、子どもなりにキチンと感じていた。

 幸か不幸か私は、その後も世界観が一変するような体験を何度かした。その最初は、不治の病と見られていた時代に結核菌に浸潤されたことだ。「死ぬ日」から「今」を見て、日々を数えるようになった。それは後年、「人生観」を「死生観」に換えていたこと。と気付かされた。

 18歳の暮れの大怪我も辛かった。利き腕の右手の、中の3本の指を、とりわけ中指は第2関節がつぶされ、失いかけた。その時も、「死ぬ日」から「今」を見るクセに救われた。「この痛さも、刻々と過ぎ去る」と考えながら、初めて読書の喜びを知った。姉は給与で買い溜めた世界文学全集を残して嫁いだが、それに救われた。たしか『赤と黒』だったと思うがレナール夫人に憧れた。『どん底』では、洗濯女の幸せを願った。利き手が使えるまでに半年を要した。

 私はそのころに、絶対と相対を気にするようになっていたようだ。また、だから「つぶす喜び」には馴染めず、「つくる喜び」も、「作る」から「造る」へ、そして「創る」へと進学させたくされたようだ。

 それがヨカッタ。「誰にでも、お金さえ出せば買えるモノ」は「潜在的ゴミ」に過ぎない、と、見えるようになった。その挙句、「未来から今を」観るようになり、やがてその未来を「願望の未来」から「必然の未来」に変える必要性に気付かされている。