わが色気に欠けた19歳

 

 私はルナール夫人に憧れた。また、『その男ゾルバ』の、村人の石礫(つぶて)の罰で殺された寡婦にも同情した。にもかかわらず、結局そうして色気にはとんと欠けた人生になった。それは、若いときに、それ相当の男としての値打ちに欠けていたことを棚に上げ、西洋の話だと思っていた。

 これも不遜な言い方だが、わが国にも、こんな恋があったンだ、と嬉しくなった。それだけ余計に、私は幸せ者だと思った。異なる好きなことができたンだから。また、妻が、そうしたココロの変調に遭遇する場合の覚悟もしていたが、ここまで無事にきた。

 ところで、その異なる好きなことのこと。それは昨年、1つの「形」に出来たことがある。19歳の時に抱いた「方」を、つまり生き方やを考え方などの覚悟を、バカの一つ覚えではないが、半世紀にわたって「型・フォーム」として守ってきたが、それが「形」にできたことだ。

 それは、網田さんの助言がキッカケであった。若い人を連れて来ても「金持ちヤ」で「チョン」となる例がある、と教えられた。金持ちだから生み出せた「形」だと見てしまう人が多い、との意見であった。これは、願いとまるで逆だ。

 そこで、「それは逆だ」とのメッセージを編纂し、「形」にしたいと願うようになった。だから12枚の写真を、阿部寿也さんに額を作ってもらい、額装した。やがて、写真説明の必要性に気付かされ、喜田真弓さんと、エリザベス・アームストロングさんの、英文化以上の協力を得た。おかげで、日英文の写真説明を作り、額装に加えることができた。

 この度、それを〔HP〕にもあげることにした

 その後、「いっそのこと」となり、写真説明に補足を加えただけでなく、「アイトワのいわれ」や「アイトワが目指すところ」など、つまり、「反対側」とは何か、の反対側も加え、小冊子『アイトワ 12節』を誕生させた。

 私が憧れた危ない色気の方がズッーと値打ちがあると思うのだが、妻の忍耐のおかげで『アイトワ 12節』を誕生させることができたことが、とても嬉しい。

 だが、日本丸は、まるで逆さまの航路に誘われており、花墓悲しい。