半世紀来の歳時記

 

 京都の年間平均気温が観観測上130年来最も高い17.1度だった。1980年代のそれ(10年間の平均気温)は15.2度だったが、その時の熊本は16.3度。京都の最近10年間の平均気温は同じく16.3度。つまり、この四半世紀で京都は熊本の気温になったことを意味する。

 こうした異常が、過日の「赤い小さな甲虫」やこのたびの黄色い甲虫などをわが家にも出現させたのかもしれない。それとも昔からいたが、あまりにも小さいので目に留まらなかったのか、あるいは、近年になって棲みつくようになったのだが、老眼には見えなかったのか、それは分からない。

 今年は異常続きだった。その1つは秋の歳時記「柿の葉寿司」を、鮮やかなカキの葉が採れず、ついに1度で終わらせた。干し柿も例年になく(渋柿を買い求めたりいただいたりして)沢山吊るし柿を用意したが、ことごとくダメにした。酸化したり、ヒヨに狙われ始めたりと、サンザンな目にあい「これで、吊るし柿つくりは止めた」になった。「お鏡飾り」に自家製の串柿を使えなかったのは久しぶり。おそらく42寝んぶりだと思う。

 それもこれも、玄果和尚に「お宅の注連縄は?」と問いかけてもらったおかげと、瞳さんに稲わらをもらっていたおかげだ。曲がりなりにも半世紀来のわが家の歳時記を切らさずに済んだ。

 稲わらたたきを10歳の実生君が「僕も」となった。私が縄を編もうと、左足を素足にすると、4歳の慧桃君は私を真似て素足になり、縄をあみ始めた

 ウラジロな代わりに、御幣をと、前日から準備していたが、「もっとよいものがある」と、やめた。おかげで、「お鏡飾り」など(神さま用、仏壇用、そして火の神様用)と、一貫性がある「新注連縄」をつくれた。
 

 


過日の「赤い小さな甲虫」
 

これで、吊るし柿つくりは止めた
 
 

マルチング材として果樹園に運び込む作業だった

稲わらたたきを10歳の実生君が「僕も」となった
 
 
 
私を真似て素足になり、縄をあみ始めた

 

一貫性がある「新注連縄」