「お金」には一切関わらずに過ごした
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これで42回目の正月の初7日を過ごしたわけだが、その準備のために妻はお節料理造りにゆうに2日を要した。結婚後最初の数年は母と分担のお節料理造りだったが、次第に妻の受け持ちが増え、今や一人で、このたびは私一人のために取り組んだ。 両親も居なくなり、このたびは食事を共にする来客予定もなく、2人で三が日を過ごすことになったからだ。しかし妻は、いつになく丁寧に取り組み、「2人分だと楽だワ」「早く済んだ」と喜んだ。来客があればそれだけハッスルする妻だが、今年は4月に個展と、9月に教室展が控えているからだろう。 三が日を通してみると、2日に澄まし雑煮が出た他は、メニューは42年来同じだった。それが私は嬉しい。まず、年に一度の食べ物であること。それを欠かさずに精魂詰めて準備できる喜びを、2人で分かち合えること。だから、亀のタケノコも、梅のニンジンも、私はすべて綺麗な出来栄えの方を選んで食べた。逆に、妻の好物になった母流のカズノコとボウダラは、カケラやクズから選べたつもりだ。 三が日が明けた朝から、朝食は鉢物の雑煮だけ、になる。これまではその最初に出る澄まし雑煮が待ち遠しかった。だがこの度は、初めて白味噌雑煮が鉢で出た。それは多分、初めて2日に椀の澄まし雑煮を用意したからだろう、と思っていた。だが、違ったようだ。 結婚記念日の5日。妻は朝一番に、2度も庭に出た。最初はいつものように畑でアイトワ菜の収穫。2度目は、見事なシイタケを収穫し、私に見せびらかせた。目星をつけていたのだろう。 この澄まし雑煮の鉢に両手を添えて、しげしげと眺めた。庭で朝採りのシイタケとアイトワ菜。アパレル時代の友人・北村が送ってくれた小田原のかまぼこ。焦げ具合が良い餅は、常食のコメを分けてもらう農家の関さんに送ってもらえたもち米だ。スリランカ旅行で知り合った関さんは夭逝し、今は息子が継いでいる。そのもち米で、初めて例年より2日早くして、28日につき、一緒に注連縄づくりをした玄果和尚一家と安倍川で、アイトワ塾の皆さんとで忘年会で汁粉で食した。 そして今年は、週末が七日。妻は、庭で朝採りした七草で粥を用意した。 結婚42回目の正月にして初めて、あらかじめ妻が七草の目星をつけていたことを知ったが、この度はややてこずったようだ。この冬最初の厳しい霜が降り、初の霜柱が立ったからだ。七草をその庭で探すのは一苦労。妻は「洗ったらシナシナになりそう」と心配した。 今年はとりわけ好ましき自生のスズナ(ダイコン)を得た。自生させるのに苦労したホトケノザだが、とりわけこの度は貧相だった。思えば、ペンペングサ(なずな)。かつて「目の敵」にして、気が付いた時は遅かった。地なりのペンペングサを絶やしていた。その後の再生にとても苦労したものだ。 今年はまた、年賀状でも印象深い年になった。いただいた賀状から妻と楽しい図柄を選び出したが、その多くは女性の作品だった。しかも、それぞれが、図柄からご本人を容易に言い当てられそうな気分にされた。それはどうしてか、と不思議だった。 本年そんなこんなで最初の一週間が過ぎ去ったが、思えば整体医ね出かけた他は、他にどこにも出かけておらず、一度も「お金」には関わらずに過ごしてしまった。 |
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見事なシイタケを収穫し、私に見せびらかせた |
庭で朝採りした七草 |
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この冬最初の厳しい霜が降り |
七草をその庭で探すのは一苦労 |
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「洗ったらシナシナになりそう」と心配した |
、図柄からご本人を容易に言い当てられそうな気分にされた |
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