ちょっとした実験

 

 失笑を買いそうだが、私は真剣だ。1973年から生きとし生けるものの平安を真剣に願うようになり、今に至っている。乗り合わせている宇宙船地球号が「無事であってのものだね」と思っている。

 それはたまたま、私は早死、と複数の医者に見立ててもらえたオカゲだと思う。「命があってのものだね」との意識を、早めに卒業できたのだと思う。宣告を受けたころの私の頭の中はまだ、特攻隊員にアコガレやケイイ、あるいはドウジョウのような意識を抱いていた。出撃前に、農家の草刈りを手伝ったり、物陰で野菊を差し出す女学生に、敬礼をして駆け去ったりした心境が、よく分かるような気がした。見栄かもしれない。ともかく思い切りよい人になりたくなる。それが生きた証であるかのように思いたくなる。

 もちろん妻には、結婚前に、「50歳までもたない」と言われたことを、そして結婚直後に、もし他の人に恋い焦がれることがあったならば、と私ができることも告げた。そのおかげだろう、過日の「赤池」の話は楽しかった。その後、菊池寛が『袈裟と良人』でとりあげ、映画『地獄門』になったり、芥川龍之介が小説『袈裟と盛藤』で取り上げたりしていたことを知った。

 それはさておき、私がたどり着いた生き方は「アイトワ」だ。当初は、この一帯は(1000年余にわたって世捨て人の地であった)隠れ里であったので、ここで自給自足を、と考えた。やがて、相互扶助の必要性に気付かされ、今に至っている。その過程で、隠れ里ではなく、むしろ観光地になりかねない立地であったことに気づかされ、ならば啓蒙の地に、と願うようになった。

 なぜなら、今日の貧富格差社会を私はいち早く予測したからだ。まるで集金システムとでもいうべき組織的活動をする人と、その誘いに乗ることが豊かさや幸せだと思う人に、世の中が2分され始めたからだ。組織的に人間特有の脳を駆使して仕掛けや仕組みに走るヒトたちと、太古の昔から変わらぬ本能の脳で選り好みをして載せられる人の、いわば出合い頭の一発勝負のようなことが一般化し始めたからだ。「消費者は王様」とおだてあげ、裸の王様にし始めた。その流れに政府ものり、個人情報保護という名目などで国を挙げて消費者を分断する。と同時に政府は鵜飼師のごとく、背番号制ですべての消費者の首根っこを押さえ始めた。これはアブナイ。国の行く末がアブナイ。

 載せる人と載せられる人の双方が、宇宙船地球号を蝕みながら、GDPを自慢し始めたからだ。私は何者か。何ができるか。何をすべきか。「ポスト消費時代」の兆に期待し、その主役たちを「ビブギオールカラー」と名づけ、著作活動に入った。

 そんなこんなで、今に至った。複数の医者のご宣託を、とっくの昔に超えている。だが、振り返れば、あの時に、と思うことが結構ある。だからこのたびのセンテナリアンの番組に惹かれた。

 センテナリアンとは「100歳以上の長寿者」を意味する。もちろん番組は「元気な長寿(ピンピンコロリ)の秘訣」を探っていた。録画しながら観たおかげで、私はなぜか3度も見直すことになった。

 最初に見た時は「長寿」にこだわり過ぎ、と思った。もちろん「命があってのものだね」であろうが、「長寿」を目的にしたのではツマラナイ。用心深い人生になりかねない。「細く長く」に流されがちになるのではないか。願わくば「良き人生」や「良き人生を手にする秘密」に焦点を当て、その結果としての長寿と、その秘密(共通項)を教えてほしい、と願った。

 もちろん「太く」とは何か、が問題だ。ギャンブルとかマネービジネスであれ、大儲けをすること、と考える人もあるだろう。必死の鍛錬をして「うン億円プレイヤー」になること、あるいは化粧や整形あるいは資格取得に努めあげ、良きレールや玉の輿に乗ること、と思う人もいて当然だ。

 それはともかく、私にはすぐそばに、どうしても長生きしてほしい人がいる。その1人にわが家で泊まってもらえる機会をえた。そこで、減量を目指し、節酒に努めはじめたヒト・網田さんと一緒に見た。おかげで分かったことがある。この番組は、競い合いをしたり、偶然(相手次第など)に恵まれたりするのではなく、独自の地道な営みを日々尊んだ結果としてのセンテナリアンを紹介していた。

 そうした人たちの長寿をささえた身体的共通項を掘り下げることから始まり、次第にココロの問題に視界を広げた。それも、その気になれば誰にでもできそうなことだった。つまり、その共通項は決して遺伝的要素(25%)ではなく、後天的要素(75%)に支えられたセンテナリアンであることを科学的に説明した。そして、登場したセンテナリアンの後天的要素を追うような番組だった。

 3度目は、逗留していた妻の友人と一緒に見たくなった、おかげで、さらなる反省を迫られた。まさに番組は「良き人生」や「良き人生を手にする秘密」に焦点を当てていた、と言ってよい。こうした地道な人生こそが「良き人生」ではないか。そうした人生を「手にする秘密」に気付かせようとしていたのではないか、と解釈した。なぜ最初にそうと見てとれなかったのか、と気になった。やがてそこに番組編集者の深慮の跡を推し量れたような気分になり、反省を重ねた。

 登場したセンテナリアンは、いずれもが周りの人たちに歓迎される日々を重ねていた。まさに誰しもがその気にさえなればできることを淡々と、80年からの長きにわたって積み重ねていた。その生き方こそが大木かのごとき太い人生と、日々成長を長きにわたって重ねて太くなった人生であると、私にも感じられるようになった。

 わが国の、かつての風光明媚な光景が目に浮かんだ。味噌や米を、お隣やお向かいと貸し借りもした生き方がしばれた。周りの人の幸せを我ごとのように喜んだ日々を振り返った。

 「そうであったか」と思った。昨今のわが国は、センテナリアンを排出する医学的・人間工学的技法では研鑽に努め、成果を得てきたのではないか。「これと、あれを合体させたらどうなるのか」と考えた。あれとは、他の人の幸せを我ごとのように喜ぶ気性であり、物的には貧しそうでも安全で安心して暮らせる環境のことだ。これとは、医学的成果だ。この2つをうまく組み合わせば、日本全体がセンテナリアンのホットスポットになり、世日本をなくてはならない国に、日本人をいなくてはならない人に、するのではないか。これが、親切で優しい日本人の気質に一番適した生き方ではないか。

 これをもって新年の夢にしたい、と思った。