一石三鳥方式

 

 昨年の暮れに、大量のもみ殻を瞳さんにからもらったが、それをこの日は活かす予定であった。アスパラガス畑の土を10p程はがし取り、もみ殻に入れ替える作業だ。ならば、シロイアスpラガスを、妻でも容易に収穫できる。これが、この日に投じる一石が主目的とする一鳥であった。

 加えて、温室の北側に、かねてから少し地上げをしたい畝が2か所あった。そこで、アスパラガス畑ではがし取った土をこの地上げに活かしてはどうか、と考えた。これで、一石で二鳥を狙えることになる。だからこの日は、まず少し地上げをする畝の除草から手を付け、いつでも土を運び込めるようにすることから始まった

 その上で、私は、アスパラガス畑に移動した。この整備に取り掛かったが、この畑の一部はゴーヤなどのツル性野菜を育てる場に割いている。このツル性野菜を育てる場は、土を削りとるのではなく、逆により豊かにしたい。その都合で、石囲いの石をより大きくて背の高い石に取り換える必要があった

 次に、アスパラガス畑全体の除草をして、整地にとりかかり、余った土を一輪車で4杯分、少し地上げをしたい2か所へ運び込んだ。これで、二鳥を一石で得たわけだ。だが、この過程で、三鳥目があったことに気付かされた。

 実は、こうした気づきが、自然を相手に、お手本やマニュアルがなく、独創的に取組む過程で感じと、れ、えもいえぬ醍醐味に触れた時に、真の農業を実感できる。さまざまな状況変化に伴って対処を要することが次々と生じるものだが、それに創造的に取り組まなければならない。だが、うまく取組めたら、己の命を己の力でつなげた実感も得られる。まさに人間として生まれた喜びを実感する。

 余談だが、それだけに戦争が怖い。1人で放って置いてもらえたら、絶対にしないであろうと言えそうなことをしてしまう。その恐れがある。それが奨励されたりしたらなおさらだ。いったん始めてしまえば、きっとえもいえぬ醍醐味を覚えてしまのが人間の性だろう。人間特有の脳を抱え持った宿命だと思う。正常に戻っても、とうていすぐには懺悔できないことをしでかしかねない。私達もそれを責められない。責めるとすれば、そうした立場に追い込んだ状況(戦争など)だ。だから、最も許せないのは、そうした状況を再現しようとする人やその一派だ。

 それはさておき、土を削ったりすくい取ったりしていた時に、土の匂いを嗅ぎつけていつも小鳥が側によって来るものだ。もちろん手をとめてその様子を伺っているとミミズなどをついばみ始める。私はこうした時も、人間として生まれた喜びを実感する。

 アスパラガス畑の整備は、ついでに施肥をする機会にも活かすべきだ。そのために先週、堆肥の山に手を付けて、いつでも堆肥を取り出せるようにしたわけだ。だから土を10p程削り取るだけでなく、土を耕し始めたが、それは新たなアスパラガスの株を植え付けるためでもあった。そこで気付かされたことは、2株の追加だった。この過程で「いっそのこと」と3鳥目に思いついた。

 この畑は黒いプラスチック製の(水田で用いる)縁取り壁を転用しており、白いアスパラガスを収穫できるようにしているが、その壁をより完璧に張り直しすべきだ、と気付かされた。かくして一石で三鳥を得ることができた

 この出来栄えを妻に見せたくて呼び出したが、ここで分かったことがある。
 


いつでも土を運び込めるようにすることから始まった

石をより大きくて背の高い石に取り換える必要があった

少し地上げをしたい2か所へ運び込んだ

ミミズなどをついばみ始める

アスパラガスの株を植え付けるためでもあった

その壁をより完璧に張り直しすべきだ、と気付かされた

一石で三鳥を得ることができた
 
 

すぐには懺悔できない


そうした状況を再現しようとする人