「優生学」

 

 優生学の秘話を知り、愕然となった。21世紀は「人間の定義」が問題になる、と見ている私だけに、願うイメージとの差異に驚かされた。

 1973年以降の私は、以前とまったく異なるモノサシに戻っている。小学校に入る以前の私のモノサシに戻っている。小学校に入り、軍事教練でしごくかれる上級生を見て、シシッカリ・テキパキしなくてはと思い込み、それがサラリーマン優等生にしたようだ。だが思うところがあって、モノサシを変えた。それは、J.F.ケネヂィーのアドバイザー・アーサー・シュレジンガーJr.の言葉に触れたおかげもありそうだ。19世紀のモノサシを20世紀は引きずっていた。

 平たく言えば、載っている船の上で、寒くなったからと言って甲板をはいで燃やし、喜ばせたり喜んだりする人は「人間の定義」として、どう見るか。船ならまだしも、宇宙船地球号に載っていながら、森林破壊までを木材資源開発とウソぶく人をどう見るか。

 もちろん私は、3つの力に頼る自然分娩(自然の力・生まれる児の力・産婦の力を活かす)産婆が好きで、高級ホテルのような産院は賛成しかねる。あくまでも、生まれてくる子が大切だ。いかなる子であれ、大事にしたい。問題はその後だ。成人するにしたがって、後天的に人は変る。センテナリアンですら75%は後天の問題で、遺伝子の影響は25%と聴いた。その好天で21世紀の「人間の定義」は決まる、と思う。つまりココロのありようで「人間の定義」が問われそうに思っている。もちろん、そのモノサシはまだわからない。でも時代は、だんだんそれを明らかにしつつあるように思う。

 問題は、それに棹を刺す人が次々と現れ始めており、一定の人気を得ていることだ。19世紀そのままの戦争ごっこなどで、心を閉鎖的にしてしまい、その悪しき人の面をそそのかし、糾合したり、それにすり寄らせたりする人さえいる。結果は、第二次世界大戦で経験済みであり、目に見えているのに、なびく人がいる。

 困ったものだ。

 


アーサー・シュレジンガーJr.の言葉