呵責の念
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目に見えないところで何が生じているのか。あるいは未だ見えざる未来に、何が生じかねないのか。これらを考え、備え、早めに手を打てた時が一番楽しいし、愉快だ。 その愉快さを得る上で、最も奥が深くて、有益性が高く、しかもヒトサマに迷惑をかけずに済むフィールドが、農業と林業を合体させる庭仕事、と私は見ている。 その愉快さは、よく考え、早めに手を打ち、得心しながら進めることで得られるが、現実は失敗の連続になるのがオチだ。だから、この失敗の受け止め方が人生の分かれ目、と思う。自然の摂理に畏敬の念を抱くか、慄(おのの)くかが分かれ目ではないか。要は、「畏れる」か「恐れる」の問題。 自然の摂理に気付かされ、畏敬の念を抱き始めたらしめたもの。「間違っていた」と気付かされるたびに興味津々の度合いが増す。やがて、人間とは「間違いを犯さざるを得ない生き方」を選んでしまった唯一の生き物ではないか、と気付かされる。要は、人間の性の問題ではないか。この性は人間由縁の才能でもあれば、人間のみが抱えた原罪の源でもある、と思いたくなる。 他の生き物は「シマッタ」と思った時が「究極の利他」の時、と覚悟しているのではないか。他の餌として同化され、観念するのだろう。反省を重ねる必要などない。 それだけ、余談を挟むが、逆にこの人間の性につけ込もうとする人の気が知れない。経済の活性化をカジノでとか、猜疑心を掻き立て軍備の拡張競争に追い立てるとか、はいただけない。 オリンピックの誘致も、要注意だ。ロンドン大会のように、地区再生のテコにする上で、今ならまだ活かせる、と見るなら別だガ、お祭り騒ぎはいただけない。いわんや、福島復興の足を直接引っ張る今度の東京は、愚の骨頂だと思う。 それはともかく、人間由縁の才能、あるいは人間のみが抱えた原罪の源に、いかに進取性と健全化を付加し、いかに創造的かつ建設的に活かすか、このありようが人生そのものではないか、と私は思う。そのありように、私は興味津々にされ、腐心の対象にしたくなる。「たかが庭仕事であり畑仕事だといつも思うのだが、そのつどされど」と、気付かされる。 もう少し厳密に言えば、額に汗をし、手にマメをつくり、ややもすれば寝食を忘れがちになるモノ「つくり」全般を、好ましきフィールドと見てよいのではないか。もちろん、この「つくる」は、「作る」「造る」あるいは「創る」へと次元を替えることによって、人間由縁の才能、あるいは人間のみが抱えた原罪の源にも大きく影響をおよぼし、人生を千変万化させる。 それだけに、残念ながら、このたびの失策は、まさに「バカみたい」であった。情けなくなるほど、2重のバカさ加減を自嘲した。まず、初めてトンネル栽培用のビニールシートを買い求め、畝に被せたが、その時に考えておくべきことであった。次に、前日、気づいて当然であったのに、まったく気づいていなかった。それはどうしてか、と反省し、呵責の念に苛まれた。 どうやら、エンドウ豆や野草の立場で、つまり肝心の立場になっての考察が欠けていたのだろう。 この過ち自体は、たかがしれた7株のエンドウマメの話だが、されど、と私は言いたい。このささやかでたわいのない失策の延長線上に何があるのか。何を見出だすべきか。ここに興味津々にされる余地がある。その一方の端に、昨今の「農業の工業化」をあげてよいのではないか。 それは緩慢なる自殺行為、あるいは皆殺し作戦であった、といずれ振り返らざるを得なくなるだろう。大げさに言えば、「開発」と称せられるあらかたの昨今の活動は、いずれ破壊行為であった、と反省せざるを得ない時が来るだろう、と拡大させてよいはずだ。 なぜか私は、伸びすぎたエンドウのツルと、育ち過ぎた野草が絡みに絡んで状景を目の当たりにした時に、藤田嗣二の戦争画の1つ、肉弾相打つ戦場を連想してしまった。 悪しきリーダーが生み出させた犠牲の図だ。「戦わされた者同士」の悪戦苦闘の戦場を連想した。「未だ見えざる未来」に何が生じるのかをよく考えず、「目には見えないところで何が生じているのか」には頓着せず、願望や意地だけを先立たせたリーダーが生み出しかねない結末だ。 なぜかこの時に、「ヨーし」との気分が湧いてきた。結果、好天をいいことに、日向ぼっこをしながら7株のエンドウを救うために、数時間を投じることになった。ポキッと折れやすいエンドウをちぎらないように野草を抜き、抜いた野草は果樹の根元にまいて肥料にした。 もちろん、エンドウと野草の両方を畝に鋤き込み、肥料として活かす手があり、ならば手作業でも半時間を要しない。だが、それではツタンカーメンのエンドウの種が採れない。そのまま放っておいても種はとれるだろうが、だが同時に野草の膨大な種を一帯にまき散らさせてしまう。 さてどうするか、せっかくヨカレと観て選んできたフィールドだ。収奪の余地が少なく、創出の余地が大きいフィールドだ。いずれを選ぶべきか、と呵責の念に苛まれた。 |
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野草が絡みに絡んで状景を目の当たりにした時 |
ポキッと折れやすいエンドウをちぎらないように野草を抜き |
抜いた野草は果樹の根元にまいて肥料にした |
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