この度のリーダー・野田先生が「上勝町」の「葉っぱビジネス」のいわゆる仕掛け人であった、と初めて知った。「20年前に思いついて提案したが」「その20年も前に、アイトワではこの柿の葉寿司を始めていた」、そして「今日まで40年間も続けてきた」「ビックリしたなあ」との発言にとても驚ろかされ、とても嬉しかった。かつて網田さんの車で「上勝町」を訪れている。
「戦国時代展」の会場で、もう1つ驚かされたことがある。若い女性の長い行列ができており、「500人の外です」と教えられたことだ。先着500人まで、あるイラストを印刷したクリアファイルがもらえるらしい。それが欲しく並んでいた。
会場に入っても、ある部分だけが込み合い、長い行列ができていた。そこを避けて先を急ぎ、後で分かったことだが、大刀一振りと、一振りの短刀をしばし凝視するために、彼女たちは詰めかけていたようなものだ。順番を待ち、前の人と同じようにシゲシゲと、太刀を見つめる。ミュージアムショップも若い女子が積めており、2500円の図録を買い求める人も多かった。
会場には、川中島の合戦図もあった。「これは、高校野球で言えば、地方予選じゃ」と出水(いずみ)さんに聞かされた時も、ハッとした。織田信長の前に、三好長慶という武将がいて、第一回全国大会での優勝者であった、と再認識した。このような関心と、2度も長い行列に苛まれ、見学時間が伸びた。」自ずと、「昼食はここで」となった。この時にまた、若い女性の行列を横切らなければなかった。
幸い、5人でゆったりと独占できるテーブルがあった。そこで、三好長慶が話題になり、私は直江兼続の思い出を持ち出した。歴史から消される立場の事例だ。
あの放映、NHKの大河ドラマを観るまでは知らなかった武将で、直後に米沢を2度訪れている。しかし、ダクシーの運転手はもとより、問いかけたすべての人が、テレビで初めて知った、と語った。だが、その気になって調べると、「この石堤も兼続ですか」と驚かされるなど、次々と兼続の足跡を見出した。兼続がその流れを造っていたから、その後の偉人は流れに乗りやすかった、と思われ始めた。と同時に、生み出そうとしていた一書に対する張りつめていた緊張が崩れた。
仮に、天下取り問題で、全国大会のごとき戦いがあり、その第一回の優勝者が三好長慶であったとしたら、と改めて考えた。これまでの私は、織田信長がその勝者、と思っていたが、三好長慶が天下取りの流れをつくり、信長がその流れに乗った最の人に過ぎず、その流れに秀吉や家康が次々と乗った、と見てよいだろう。歴史観が大きく変わる。
実は、こう思い始めていた矢先に、野田先生は「ビックリしたなあ」と「上勝町の葉っぱビジネス」を話題に取り上げた。それだけに、嬉しくなったわけではない。心を引き締めた。何事にも、1番か2番かを競うのではなく、つまり、1番か2番か、を競ったり、喜んだり悲しんだりするのではなく、最初の「気づき」か「伝播」か、の峻別が大切だと思う。この不思議さと大事さを、たしかワトソンは『100匹目のサル』で記していた。
目に見えないところで何が生じているのか。あるいは未だ見えざる未来に、何が生じかねないのか。これらを考え、備え、早めに手を打つうえで、この峻別がとても大切だと思う。たとえ2番であれ悲しむのではなく、なぜ2番になったのかに興味お持ち、2番以上に1番に興味を抱き、われごとのよう喜ぶ。私はこのココロが大事だと思う。だから、野田先生が、アイトワの柿の葉寿司によせた関心と感心に心惹かれた。だからだろうか、直江兼続に興味を抱いたように、三好長慶に興味を抱き始めた。
かくして時は刻刻と流れ去り、「さて、切りあげましょうか」となった。そしてまたビックリした。1時間ほど前に遠慮しながら横切った長い行列はもとより、若い女性の姿がサッパリ見かけられなくなっていた。ガラーンとしていたおかげで目に飛び込んできたものがある。彼女たちが行儀よく行列し、前の人と同じようにケイタイに収めていた2枚のイラストであった。
しばし流行の何たるかに新た得て想いを巡らせた。「それにしても刀に群がり」「刀を凝視する目」は怖かった。偽りの歴史や、創られた歴史には振り回されないにしたいものだ。
ちなみに、こうした女性軍を「刀剣女子」と呼ぶ、と後藤さんに教わった。
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