「哲学の木」

 

 JR富良野線、美馬牛駅が最寄り駅の、広大な農地に生えていた。樹形が良い孤高のポプラ(正式にはセイヨウハコヤナギ)。この農地では、ジャガイモ、麦、大豆、トウモロコシなどさまざまな農作物を有機栽培で輪作していた。この風景は恰好の写真撮影スポットに選ばれた。

 その写真が多くの人を惹きつけ、興味本位の観光客まで押し掛ける名所にした。その踏み込みが、土を踏み固めるだけでなく、土壌への雑菌の侵入を促し、病気や害虫を持ち込むなど、多大な被害を与えた。ついに、薬剤散布が迫られるなど、壊滅的打撃を被るようになった。有機栽培農家は、やむなく美形のこの木を切り取らざるをえなくなった。

 アイトワでは、「忠ならんと欲すれば考ならず」のごとき心境など、これに似た心境にされたことが多々あり、同情を禁じえなかった。その最初は、毎年夏になるとカブトムシやクワガタ虫を惹きつけていた美形のクヌギの樹だった。

 多くの観光客は、採蜜するクワガタ虫やカブトムシに気づき、遠望し、学習の場に活かす家族もあった。か、と思うと、ヒトの目を盗み、生け垣を踏み越えて侵入し、虫捕りをする人もいた。注意書きなど何の役にも立たず、夜陰を狙う人まで誘うようになり、不気味な心境にまでされ始めた。

 ついに、わが娘の命を断つかのごとき心境にされながら、切り取った。それで、何事もなかったかのごとくに収まった。この愛する娘かのごとき思い入れをしたクヌギは薪になり、今も野小屋の床下に保存している。この薪で、かつてリズさんと2人で切り倒した松や、この庭で最も太かった松の玉切りを囲っている。イザッという時に備えた薪だ。

 「哲学の木」の末路を伺いながら、その切り取った樹のその後は、など有機栽培農家の心境に思いを馳せた。
 

この庭で最も太かった松の玉切りを囲っている