ロッキード事件の顛末

 

 ロッキード事件は、民間航空会社との間のワイロ5億円、で終わった。しかし、その何倍ものワイロが流れた事実が分かっていながら、闇の中に消えた。それはキーマンの児玉義男が国会招致に耐えられない病状と分かり、証言台に立たせられず、証言を得られなかったからだ。

 このたび、事件の本命は中曽根で、何倍もの巨額のワイロは、自衛隊機選定に関するワイロであったことが明らかにされた、と聞いた。その出版物によれば、児玉義男は注射を打たれ、証言台にはとうてい立てない状態にされていた。打った医者も薬剤も明らかにしている、とか。

 この事件は、児玉義男だけでなく、中曽根など政治家やその秘書、自衛隊の幹部、あるいはそれらに組みした学者や医者などの大勢が関わったが、今日までダンマリ作戦が続けていたわけだ。

 「うーん」と唸らされそうになった。「うまいこと、もみ消したものだ」「田中は、トカゲのシッポにされたわけだ」「国民は、謎が解けたかのようなつもりにされ、尻尾を本命と見て、ピーナツ5つで矛を収めてしまった」わけだ。

 軍隊や軍備の必要性を叫ぶ人たちのタチや思いにも想いを巡らせた。

 煎じ詰めれば、自衛隊やその軍備などは(国民を煽って危機意識に陥れ、それらの必要性を感じさせ)日本国民の税金を無駄遣いするためのカラクリの1つ、と見てよい一面があったわけだ。その一面をロッキード事件は、露わにしていたわけだ。つまり、莫大な税金を正当に投じたかのように見せかけながら、狙いは私腹を太らすために活かされた、と言ってよい。

 現実に、軍隊や軍備は、対外戦争で活かされる回数よりも、国民の弾圧や鎮圧に活かされる回数の方が多いはずだ。天安門事件もしかり。シリアでも。

 原発問題も、ライフライン(エネルギー)問題と言うことで、同じようなメカニズムで動いているに違いない。ライフラインとは日本語だが、よく造ったものだ。ライフラインを締めあげられたら国民などイチコロだ。「そうであったのか」と思った。

 かつて、小川や水路の多くは生活用水路だったが、水道の普及と比例して、国民はドブ川に変えている。自らをイチコロの窮地に立たせていた分けで、シメシメと思っていた一群がいたわけだ。さもなければ、「イザッ」と言う時のために、「美しい水を護ろう」と叫べたはずだ。

 「ならば」とも思った。これから、今騒がれているさまざまな問題はどうなるのか。「駆けつけ警護」の人たち。「治安の悪化は理由ではない。首都は比較的落ち着いている」と聞か有れていたジュバから、隊員は「戦闘」と言う文字を羅列する報告をしていた。防衛相は「国会答弁で憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではない」と不快感を示していた。

 「森友学園問題」。「イザッ」と言う時は、籠池理事長は注射でも打たれるのだろうか。

 きっと政権は急ぎ「もみ消し段階」に入るに違いない、と友人と語り合った。このままではシッポを切るだけで終わらず、本体が危なくなる。きっと、「もみ消し策が講じられる違いない」。「妻は身を引きました、程度の知恵では済むまい」との発言に、膝を打つ思いがした

 とりわけ「森友学園問題」は、子どもの教育問題であり、不気味だ。標的をセットしたミサイルよりも不気味だ。生身のミサイル、神風を連想し、リセットが簡単でないだけに不気味だし、気の毒だ。