情けない日本の政治

 

 首相夫人は尋常か。夫である首相に「名誉校長を返上した」と、迷惑なことからやっと逃れることができたと言わんばかりの発言を、国会でさせておきながら、その後もメールで森友学園籠池理事長夫人と相談事をしていた。

 防衛相は異常だ。異常を通り越している。こういう人たちが、ついに籠池理事長の国会喚問に応じた。応じた、ではなく、逆に「不名誉を晴らすために証人喚問をしたい」と言わんばかりにコトを運ばせた。その陰には、大仕掛けが潜んでいるのではないか。またぞろ、野党はハメられるのではないか。私たち日本人の多くはお人ヨシから、国民もハメられのではないか。

 なぜか私は、今度は子とものころに聞かされた話を思い出した。復員兵の話だ。その後、何かの書籍でも同じような証言を読んだような記憶もある。

 「兵隊の命などいちいち考えてたら、戦争などできるか」とわめく職業軍人がいた。「お前らは、1銭五厘でなんぼでも集められるが、弾はそうは行かん」と職業軍にののしられ、三八銃弾を1つ失っただけで酷い折檻をされた。こうしたことが怖くて、突撃命令1つで招集兵は反射的に飛び出した。

 だが、誰一人として文句は言わなかった。家族や親せきまでが酷いメにあわされかねない。臣民は、臣民同士で酷い目の合わせ、合わされかねない仕組みを造っていた。密告が日常茶飯事だった。

 そうした風潮の犠牲のもとに320万人の死者も出した。その戦争死を強調し、そのおかげで今日の繁栄はある、と首相はことある毎に叫んできた。その首相によって、共謀罪も規定されかけており、いくらでも拡大解釈されかねない。防衛相は、現場が「戦闘」と認める現実を認めようとしない。「武力衝突」と言い換えれば、いくらでも「戦闘」に参加できると言いたげのようだ。

 だから、首相夫妻dけでなく、防衛相も、国民を臣民にした「教育勅語」を尊重している。首相夫人は、幼児期からその刷り込みを画策する森友学園の名誉校長になっていた。それは、国民の中にも大勢の人が「教育勅語」を支持している、と見てのことだろう。現実に、多くの国民が「教育勅語」の一部を、己も支持したい一部を取り上げて支持している。もちろん私もその部分単独なら支持している。問題は、一部を見て「教育勅語」全体を「良い教え」と誤解する傾向はないか、と言いたい。このたび、全体の意図を理解する人の声が高まり、首相も慌てたに違いない。

 この度の喚問で、その慌てが生じさせた矛盾を明らかにするのか、逆手に活かされるのか、みものだ。首相は、関わっていたら、首相だけでなく議員もやめます、と啖呵を切った。この人は、こうした類の発言をした時は、いつも怪しい。

 森友学園は金欠状態に追い込まれている様子だ。それだけに、大仕掛けになびきかねない。野党はまたまんまとハメられるのではないか。